Thursday, July 26, 2012

生活

先月長男が誕生し、僕の生活は一変した。

 生まれてしばらく里帰りしていた奥さんと長男だったが、先日京都に戻ってきた。戻ってきたというのは正確じゃないな。勝手に戻ってきたのではなくて僕が車で迎えにいったわけだから、正確には一緒に帰ってきただ。それにそもそも、長男は僕らのマンションに住んだことなど一度もないので、戻ってきたはおかしいな。やってきたが正しいのかもしれない。

 そんな言葉のことはともかく。

 長男との3人生活が始まって、僕は仕事のやり方を改めた。というか改めざるを得ない。今までは昼前くらいに仕事に行き、夜遅くに帰るという方式だった。朝は寝たいし、夜の方が仕事がはかどる。仕事を除いても元来夜型の人間なのだ。朝早くラッシュ時に出勤なんてありえないと、そう思っていた。でも、生後30日ちょっとの赤ちゃんはそんなことはおかまいなしに生きている。夜だろうと昼だろうとお腹が空けば泣く。おしっこをしたら泣く。目を離すとうっかりうつぶせになりやしないかと心配だし、だから奥さんと交代で赤ちゃんを見てるし、だから基本的に睡眠不足になる。

 朝早くに会社に行くようにしたのは、赤ちゃんをお風呂に入れるのをあまり遅くにしたくないということと、奥さんが料理をする時には僕もいて、赤ちゃんを見てることが役に立つことだとわかったからだ。だから6時には帰り着きたい。そうなると必然的に9時くらいには仕事を始めておかないとということになる。

 遅めに始業、遅めに帰宅というのは、独身時代から続いてきたことで、20年以上そういうパターンで生きてきた。それには理由があるとずっと思い込んでいたし、変えるなんて無理とも思い込んでいた。でも、そんなことはまったくなかった。赤ちゃんという強力な存在の前には、勝手な思い込みなどいとも簡単に吹き飛んでしまう。僕と同じで朝起きるのが苦手だった奥さんも、今は早くに起きるし、そもそも夜もあまり熟睡していない。2人揃って寝不足なのだが、それでもなんとかやっていける。

 僕はこれまで、そういう「思い込み」が吹き飛んだ経験が2回ある。ひとつは、京都に引越したことだ。26年東京に暮らし、生涯をそこで終えると思っていたが、引越すとなると意外にもあっさりと適応出来た。東京に居続けなければいけない理由を、自分の頭の中でずっと持ち続けていたけれど、そんなものは持つだけムダというものでしかなかった。

 もうひとつは、減量だ。もう7年ほど前になるが、骨折して入院手術をした際に医者から「痩せろ」と厳命された。当時の僕は91kg。身長187cmの僕にとってのベスト体重は76kgだと。そんなバカな。僕は比較的骨太で、だから一概に計算で出るようなベスト体重になんてどう頑張っても減らせるわけがない。そう思っていた。だが、きちんと取り組めば体重は落ちるのだ。約半年で18kg減量した。最初は一進一退だったが、後半になると毎週1kgずつ落ちていった。面白かったが、それ以上痩せるのもどうかと思い、そこでストップ。この時も、「骨太」だの「痩せるわけがない」だのというのは思い込みに過ぎなかったのだ。

 人は、いろいろなことを思い込んでいる。絶対にそうだと思っていても、それが絶対であるとは限らない。人がそれを思い込むのは、言い訳を探して辿り着いた、ある種の逃げなんだと思う。逃げてもいいことが世の中にはあるから、思い込むのが必ずしも悪いとは思わないけれど、何かを変える必要がある時、そこに立ちはだかって邪魔をするなんらかの思い込みがあったとしたら、それを否定するのもいいのかもしれない。そうすることで、今までの生活とは違った何かを得られるのだから。新たなものを得るということは、今ある何かを捨てるということでもある。持っているものを捨てるのは寂しいことだ。でもそれを捨てずにいたら、得られるかもしれない新しい何かを、今後の生活から捨てることにもなってしまうのである。それも寂しいじゃないか。

 僕に訪れた新たな生活は、寝不足そのものである。だが、寝不足と不可分で得られた喜びに満ちている。赤ちゃんは泣くよ。うるさいよ。おしっこもうんこもするよ。おむつを替えている最中にピーッとおしっこをかけられることもしばしばだ。うんこをしたらお尻を洗ってやらなければいけないし、ゆっくりテレビを見ている時間もなくなるよ。でも、それが楽しい。それを維持するために、僕は朝型に切り替えようとしている。朝早く起きるのは今も大変だけれど、その分、夕方以降の時間の過ごし方がとても有意義だ。

 そんなことを、最近思っている。