Wednesday, May 16, 2012

祭り

雨のため1日順延になった葵祭が、本日京都で開催された。

 京都の三大祭りのひとつに数えられていながら、GWからもずれるうえに、曜日に関係なく15日開催が基本なので、東京に住んでいた頃には生涯見ることのない祭りなんじゃないだろうかと、強い憧れをもっていた、それが葵祭だ。しかし昨年京都に移住して以来、葵祭は身近なものになる。昨年は偶然日曜日に重なったが、今日は普通の水曜日で、あろうことか会社から徒歩2分の道を通る。昼飯前に近くを散歩するくらいの感覚で見に行ける。ああ、人生は不思議なものだなとつくづく思う。

 まあお祭り自体は大いなる平安絵巻的仮装行列ということであって、雅の風流を除けば少しばかり退屈でもある。しかし退屈なんて言ったらバチが当たるな。一昨年までは生涯見ることのないものとして憧憬の対象だったのだから。まあ本当に退屈だと思っていたら、今日だって見に行きやしない。僕はおそらく来年も再来年も見に行くだろう。丸太町通りで見るのではなく、下鴨神社糺の森で見たり、上賀茂神社まで遠征したりもするだろう。今日も少しばかり京都御所の中まで入って見たら、昨年の丸太町で見た行列とはまた違った趣だった。場所で印象が変わるのも面白い。来年からもきっと面白いはずだ。

 で、行列の中心には斎王代という、十二単を纏ったお姫様がいるのだが、毎年京都の女性が選ばれて斎王代の役目を果たす。今年は会社員の女性が選ばれたということだったが、老舗和装小売店の社長の娘ということで、まあお嬢だ。いや、それがうらやましいということではない。100%まったくうらやましくないかといえば難しいところだが、妬むような気持ちなどはまったくないし、お姫様役はお嬢様育ちの女性がやはり似合うだろうと思う。で、斎王代はそれとして、その他にも沢山の人たちが平安装束に身を包んで行列は行なわれる。馬に乗る女性も、歩くだけの女性も、馬を引く男性も馬に乗る男性も、荷物を運ぶ男性も、老若男女問わず沢山の人たちがその行列に参加しているのだ。あれは、一体どういう人たちなんだろうと、素朴に思った。

 僕は昨年から京都に引越してきて、1年経ったもののまだまだ他所者だと思う。自分でもそう思う。だが、東京にいた時にどうだったのだろう。早稲田通りにカフェを構えて、ずっと営業してきた間も、地元の青年会的なところからお誘いを受けたことがなかった。いつも行っている定食屋のオッサンがその会長だということは知っていた。僕は学生時代からその店の常連だったし、道ですれ違えば挨拶もする。だが、お神輿の時も火の用心の夜回りの時も、僕に声など一切かからない。いや、神輿も担ぎたくないし、夜回りもしたくない。だって面倒だもの。でも、「参加するかい」と声がかかって、そこで「やりません」と断るのならともかく、一度も声がかからないとはどういうことなんだろうってずっと思っていた。怪しい店だったから声もかけにくいということだったのだろうか。でも、おそらくその青年会が地元の小学校から一緒の人間関係をベースに成立しているんだろうなと、僕は思っている。それならなかなか他所者は受け入れられないだろうなと。26年東京に暮らし、その地に店を構えて8年間、店閉店後もオフィスとして利用していたから11年間は通りの路面のテナントでやっていたのに、それでもやはりその通りでは他所者だったんだろうなと思う。それが良いとか悪いとかではなくて、現実としてそうだったと。

 僕の兄は父の眼鏡屋を継ぎ、今も生まれ故郷で頑張っている。そのためか、周囲は知人だらけで、山笠にももう20年程参加しているし、ちょっと前は小学校のPTA会長もやった。地元の名士というには年齢も商売もまだまだかもしれないが、少なくとも他所者ではない。兄が他所者だとしたら、地元の人なんていないだろうというくらいだ。

 東京にいる頃は町内の他所者であっても友人はたくさんいた。だが、京都に移ってきてからは基本的に夫婦だけだ。お店をやるでもないので、地域に知り合いなどほとんど増えない。そのことを悲しんでいるわけではない。だが、祭りに参加している人たちを観光客と一緒に眺めていて、僕の立ち位置は何なんだろうと考えてみたのだ。

 考えてみれば東京での生活が僕の人生の中でもっとも長い。なのに、京都に移った途端にそこは自分のルーツなどはまったくなかったということに気がつく。遠くの、栄えている街でしかない。今ももし帰る場所があるとすれば、それは東京ではなくて福岡なんだろうと今は思う。ただ、福岡に帰ることはまずないので、だから、今いる京都をそういう場所にしていくべきなのだろう。でも東京で26年かけてそれが出来なかったわけで、京都でそんなことが出来るのだろうか。はなはだ心許ない。

 しかし、もう来月にも生まれる我が子にとっては、この京都が生まれ故郷になるのだ。ここで育ち、ここで友を作る。彼のルーツはここになる。だとしたら、子育てをする中で、僕も否応無しにこの場所に組み込まれていくんじゃないだろうかという気もしている。子はかすがいだとよく言ったもので、それは通常は夫婦の絆を強くするという意味に使われるのだが、僕は今、子供が僕ら夫婦をこの京都という場所につなぎ止めてくれるかすがいになるような気がしている。そうなったらいいとか、よくないとかそういう僕の意思とは無関係に、僕はこの街に根を下ろしていくのかもしれない。

 そしてこの街のお祭りにも参加するような、そんな未来もあるのかもしれない。まあ僕が今から斎王代になるのは100%不可能ではあるが、祇園祭の鉾の引き手くらいにはなる可能性もゼロではないかもしれない。