Friday, August 10, 2012

金メダル

オリンピックが盛上がっている昨今、まあ僕も見ている口ですが。つい3週間前までは「あれ、ロンドンオリンピックってもうすぐなの?全然盛上がってないけど」なんてことを言っておきながら。

 で、そんな昨今とは関係なく、僕は仕事で単純作業をしていた。朝からずっとやっている作業で集中力を切らさないために、ストップウォッチを取り出した。iPhoneのやつ。で、1工程を計ると、12秒。つまり1分間で5工程出来るということだ。10分で50工程、300工程やるためにはちょうど1時間かかるという計算になる。だが、ちょっとしたミスをすると12秒は20秒にもなる。しくじってはダメだと思えば思うほど緊張して手先が乱れる。結果、計算上の1時間は平気で1時間半にもなってしまう。

 そんなことをしながら、僕は思った。アスリートのやっていることというのはこういうことなんじゃないのだろうかと。僕らはオリンピックを見て簡単に「もっと速く泳げないのか」などという。だが、彼らのやっているのは、僕が1工程12秒かかることを7秒でやるということなんだろうと思う。それを世界のトップクラスが競っていて、人類として6秒半は無理だが、7秒なら可能で、あとはその7秒をどれだけコンスタントにミス無く維持出来るか。そういうことなんじゃないかと思った。

 例えば水泳で、今の泳ぎ方だと7秒だが、工夫すれば6秒90くらいにはなるかもしれないと考える。だから、今までの泳ぎ方を変えてみる。だがうまくいかない。しかしフォーム改造には筋肉改造も伴い、簡単に前のフォームに戻すこともままならない。それでも6秒90になれば、他を引き離すことだって出来るに違いない。そう思って、トライする。それを全世界のトップがやっている。そういう究極のことを4年間やって、ロンドンに集っているのだろう。

 そんなことを考えながら、僕は自分がやっていることはどうなんだろうと考えた。目の前の単純作業の効率を上げることが僕にとっての金メダルではない。だが、こんなことであっても、集中してやりこなせば30分でも速く終わり、その分別のことに費やすことが出来る。その積み重ねが、人生を豊かにするんじゃないかとか、そんなことを考えたのだ。

 このブログも、一時期(ブログに移行する前の日記の頃)は毎日のように更新していた。それは今から考えるとヒマだったということなのだろうか。今は結婚もし、子供も生まれ、自分だけの時間はどんどん減っている。だが、それが自分の人生を小さくしているなんて思うのは間違いだと思う。もっともっと無駄にしている時間が多いような気がする。それを見つけて、減らしていくことで、有意義な時間の使い方を出来るような、そんなことをふと考えたりしたのだ。それが結局もっとブログを書くということにつながるのかもしれない。ブログをたくさん書けば有意義なのかと問われれば、どうなんだろうと首をひねるしかないが、でも毎日文章を書いていくことで、文章は上手くなる。自分は磨かれる。それでいいではないか。人間は水泳が上手いから偉いのか?サッカーが上手いから偉いのか?そうではないけれども、上手くて、オリンピックに出場している人たちは輝いている。人はそれぞれの輝き方がある。文章が上手くなる自分というものにも十分に価値がある。ぼんやりと過ごして文章が下手なままよりは、ずっと有意義だ。

 つまり、水泳が上手い人が目指す金メダルもあれば、サッカーが上手い人が目指す金メダルもある。僕はオリンピックに出場は出来ないけれども、僕なりに目指す金メダルがあっても良いじゃないか。それは日常を見直して、集中力を高めることでそのメダルに近づけるんじゃないだろうかと、そんなことを思ったりしたのだ。

 今日もこうやって、出社して午前中に2つの仕事を終わらせた上でこうしてブログを書くことが出来た。今までならずるずると午後を迎えていたことだろう。ちょっと嬉しいし、誇らしい。まだまだ遠いが、僕なりの金メダルに一歩近付いたような気分がする。