Friday, January 27, 2012

京都、カフェの旅

僕は京都が好きだ。一昨年までは年に5回ずつくらい旅行で訪れていた。それが昨年から京都に引越すことになった。引越はけっしてすべて理想的なことではないし、引越しなくて済むのならそれに越したことはなかったと今でも思う。だが、その結果いま京都で暮らせているというのは、とても幸せなことだ。

 旅行で来る時には、どうしても寺社仏閣などの観光地を巡ることになる。何度来てもすべてを回ることなど不可能だ。そのくらいに京都は広い。いや、街としてはそんなに広いところではない。しかしその中に見るべきものが沢山あり過ぎて、そしてそのどれもが季節によって表情を変えて、だから同じ場所を何度訪れても初めてのような気分になる。それは尽きることもないし、飽きることもないね。

 しかし、京都の魅力は神社仏閣だけにあるのではない。本当にいろいろだ。そんな言葉でまとめるのはどうかと思うが、要するにこの街の文化が魅力なのだ。一乗寺にある恵文社という本屋さんは日本中にファンがいるらしいし、世界の魅力的な書店ランキングベストテンにも入るそうだ。実際に行くと、それまで行っていた本屋って一体なんだったんだろうと目からウロコになる。そこは特に有名なのだが、他にも魅力的な本屋は沢山ある。映画だってそうだ。マイナーな作品をやってくれる映画館もいくつかある。東京と較べたら数は少ないが、人口比で考えたら、破格の多さだと思う。中古レコード屋も思いのほか多いし、ライブハウスも沢山ある。街の中でそういう文化的な場所がとても多く、それは京都の人の中にある文化の幅がそういう状況を生んでいるのだろうし、そういう場所の多さが、今度はまた京都の人の心を育んでいくのかもしれない。昨日今日ここにやってきた他所者がこんなことを言うのはエラそうで申し訳ないが、他所者だから感じられることというのもあると思うし、そういうものだと読んでもらえれば幸いだ。

 で、そんな文化を象徴しているものに、カフェがある。

 旅行で来る時には、カフェは休憩に立ち寄るところであり、一部の有名店を除けば目的の場所ではない。目的にもしていないお店になんとなくブラリという感じにはなかなかならないし、そういう場所で時間を忘れて本を読んだりということもしない。だって旅行中は時間が貴重なのだ。いろいろなところを見て回りたいのだ。カフェで本を読むなんて、家に帰ればいくらでも出来るのに、なんで交通費と宿泊費を使ってやってきた場所で本を読まなければならないのだ。そういう雰囲気が旅行にはある。何も考えずにゆっくり過ごす旅もしたいが、まだまだそんな余裕を持てるには時間がかかりそうだ。

 しかし、京都に引越してきてから、状況は変わる。僕には時間があるのだ。いや、もちろん仕事をしなきゃいけないから、限られているといえば限られた時間だけれど、旅行中のようなスケジュールに追われているわけではない。一日の仕事の終わりにカフェに寄って息をつく時間くらいはある。昼食をとりにカフェに行くこともできる。そうして今、僕は京都でカフェを巡っている。

 京都のカフェは実に多様だ。東京にいた頃には、カフェといえばスタバにドトールにタリーズだった。チェーン店的な展開をしなければやっていけないんだと思う。それほどに、東京は家賃が高い。そもそも客単価が低いビジネスで、家賃が占める比重というのはかなりのものだ。自分でもカフェを4年ほど経営したことがあるのでそれはよくわかる。ビルのオーナーに家賃を払うために日々苦労していたような気がしている。カフェをやるのは楽しいことだったが、それでも利益がなければやっていけない。

 京都の家賃がどのくらいなのか正確なところは知らないが、オフィスの賃料などを考えても、かなり安いという実感がある。それが京都のカフェにゆとりを与えているんじゃないかという気がする。なにより驚いたのは、空間の使われ方がかなり贅沢だということ。東京で5席作るところに3席程度しか配置されていない。それでやっていけるのだ。とても興味深かった。僕ももし京都でキラキラカフェをやっていたなら、もっと長く続けられたのかもと今は思っているくらいだ。

 そして、カフェのスタイルも幅が広い。出てくる料理もいろいろだし、ドリンクだっていろいろだ。それが街の中にたくさんある。毎日新しいところを発掘してもまだまだ行ききれない。だから毎日が発見だ。こんなカフェがあるのか、あんなカフェもあるのか、神社仏閣の多さどころじゃないくらいにいろんなお店がある。どれも個性的。面白い。

 僕はこういう日々を、新たな旅だと感じている。たまに訪れる観光旅行ではカフェを極めるなんて考えることさえ不可能だ。でも、住むことになったので、なんとかできるんじゃないかって気になっている。神社仏閣で御朱印を集めるように、いろいろなカフェに行っては発見をする。とても贅沢なことだと思う。

 そんな中で僕が今お気に入りのお茶スポットを2ヶ所だけ紹介したい。ひとつは、寺町御池の上島珈琲。UCCの上島珈琲だ。なんだチェーン店かよって思われるだろうが、ここが実に心地良い。真ん中に壺庭が在っていかにも京都的だ。京都の古い町家を使ったカフェも沢山あるけれど、それ以上に京都的な気がするのだ。壁にはジャズのLPが飾ってあったりして、古い京都と文化的でモダンな京都が混在しているようなのだ。チェーン店でもそういうテイストを普通に持っているんだなという驚きをくれたということで、僕はこの店が大好きなのだ。会社のすぐ近くでもあるし。

 もう1つのお茶スポットは、東福寺開山堂の庭だ。ここはカフェではない。紅葉で有名な東福寺の、そして重森三玲のモダンな庭で有名な東福寺の、ここはどちらでもない奥の建物の庭なのだが、だから訪れる人も少なく、ここの縁側に座って本を読むのが僕の至福の時なのだ。ペットボトルのお茶を持参して、ときどき飲む。飲食禁止なのか? それはよくわからないけれど、誰にも怒られたことないし、まあいいか。

 もちろん京都にしかなくて、京都っぽくて、有名なところなんかも沢山ある。三丘園、月と六ペンス、KAFE工船、ラ・ヴァチュール、トラクションブックカフェ、いろいろある。スマートコーヒーにフランソワにソワレに、あとなんだっけ、とにかく沢山ある。栖園のようなお菓子屋さんのお茶どころもあるし、青蓮院門跡などのお寺で庭を眺めて抹茶をいただくのもいい。時間もお金もいくらあったって足りやしない。旅行で立ち寄るくらいではカフェを巡るなんて絶対に無理だとあらためて思う。

 そんな中で、僕はあのイノダコーヒーには立ち寄らなくなってきた。京都を初めて旅してた頃、ガイドブックには必ず載っているイノダコーヒー。確かに京都カフェの中心的存在なのだろう。何度か行って、独特のコーヒーに面食らったことがある。でも今はそこには行かない。目の前を通っても通り過ぎるだけだ。だって、他に沢山あるのだから。行っても行っても尽きないカフェの中で、なぜまたイノダなのだという感じなのだ。

 しかし、前を通り過ぎる度に目に入ってくるのは、そこで新聞を読みながら過ごしているおじさんたちの姿だ。フルーツサンドなんかを食べながらイノダで過ごしている。他のカフェなんて目にも入らないのだろう。自分はイノダだと決まっているのだろう。そういうのに、なんか憧れる気持ちもちょっとあるのだ。完全に地元に溶け込んで、自分のお気に入りの場所を見つけて、そこ一筋で通っている。そういうのはなんかいいと思う。浮気もせずに奥さん一筋みたいで、カッコいいじゃないか。僕もいずれは、イノダに通うようなジイさんになりたいと思う。それは別にイノダコーヒーでなくてもいいのだ。自分だけの「イノダコーヒー」的などこかを見つけて、もうずっとそこばかりという感じの。それまでにはたくさんのカフェに行って、本当に好きになれるところを見つける日々が必要なのだろう。

 そんな、京都カフェの旅。実に楽しくて、幸せな日々だ。