Thursday, February 25, 2010

音楽の世界へようこそ


 『音楽の世界へようこそ』は川本真琴9年ぶりのアルバムである。単純に感想を述べるとすると、僕はとても好きだ。だが、このアルバムの評価はとても難しいと思う。なぜなら、ここには天然の音楽家が好きにやっているという姿があるだけだからだ。この人に才能があるのか。才能とは一体なんなのか。非常に難しい問題だし、人によって評価が分かれるのは当然のことなので、ここでは彼女には才能があるという前提で一旦は話を進めるが、才能がある人には、活躍の場が与えられるべきだと思う。しかし世の中とはビジネスで動くものだし、そうした場合には才能とビジネスが必ずしも一致しないという不幸な状態が起こるのが当たり前だ。川本真琴も鮮烈なデビューの割にはその後の活動がパッとせず、次第に消えていった1人だと言われてもおかしくない。だが、9年もの間活動らしい活動が無く、そしてディスクユニオンのレーベルからという、かつてを知っているファンからすればとても小さな復活は少々痛々しいものの、それでもこうしてアルバムがリリースされ、そこそこ注目されたりするということを見ると、やはり彼女のことを認めていて忘れられずにいる人たちが少なからずいるということなのだろう。そして、そういうものを才能と呼んでいいのではないだろうか。

 そもそもの彼女のデビューは岡村靖幸のプロデュースによるものだった。岡村靖幸という人も変わった人だが、それに負けないくらい変わった雰囲気を持ってメディアに登場した。そういう言動などが普通以上に表に出てきていたことからすれば、やはりかなり変わった人なのだろう。アーチストとはそういうものであり、その個性故に周囲と対立することも少なくないはず。その対立において周囲が非社会性と芸術性のバランスの中でどちらをより重要な要素だと考えるかが問題になってくる。才能に欠ける人は必要以上に下手に出て波風を立てないように気を遣う。そうしないと生きていけないからだ。しかし才能ある人は自分の才能を最大限に活かすためには、あまり妥協を繰り返してはいけない。必然的に周囲の意見を入れないということになり、軋轢を生むことになる。軋轢を生むのは仕方ないとして、ある一線を越えてしまうと取り返しのつかない結果になるわけで、その一線を超える理由は、バランス感覚に欠けているか、才能を認めさせることに失敗しているか、あるいは才能が有ると思い込んでいる自己認識そのものが間違っているかのどれかである。川本真琴の場合は、バランス感覚に欠けていたのではないかと、勝手に創造してしまう。なぜなら、才能は有るのだし、そのことを周囲も認めているからだ。そうでなければ9年もの間待ち続けるファンがいるわけがない。社会的なバランス感覚が欠如しているということは、実はアーチストにとっては避けられない要素でもあると思う。だからそれを周囲でサポート出来る、理解と能力を持ったスタッフがいたら何かが違ったのではないかなあとか、思ってしまう。

 今回のアルバムを聴いて、僕はなにか嬉しくなったりガッカリしたり、いろいろな感情を1枚の中でいろいろと感じていた。まずオープニングの『音楽の世界へようこそ』から『何処にある?』につながる流れはとてもロックだ。これはロックアルバムかと思ったら、そのあとに展開されるのはどちらかというとスローからミディアムテンポの楽曲が並んでいく。演奏自体はシンプルな構成なのに幅が広く、ファンクからピアノソロまで多様で、場合によっては統一感に欠けたゴチャゴチャした印象にもつながりかねないのだが、それをそう感じさせないのは、やはり川本真琴という人の個性あるボーカルの力なのだろうと思う。それは前作(?)のタイガーフェイクファの時にも感じていた、独特のしゃくれと声質による。この声質やしゃくれ方を嫌う人も多いだろう。そういう人からすれば入り口から嫌いなわけで、僕のこういう文章もまるで理解出来ないということになろうが、個性をまるで感じられない歌い手がとても多い中でこれだけの存在感を示せるということは、好き嫌いに関わらず評価に値すると思う。そしてこの歌声が、音楽での収入がもう殆ど無かったであろう彼女の中でちゃんと維持されていたということが、なんかステキなことだなあと思ったのである。