Friday, November 06, 2009

日本シリーズ


 昨日、一昨日と僕は東京ドームへ行った。巨人対日ハムの日本シリーズを観に行ったのだ。一昨日球場に向かう時は、第5戦で原監督の胴上げが見られると思っていた。疑いはなかった。だが、負けた。第3戦の覇気がなかった。巨人には勢いがなかった。序盤1番坂本2番松本が好調だった。第3戦で小笠原が決勝打を打つための伏線は明らかに彼ら2人だった。粘りの打席。2アウトから坂本がフォアボールを選ぶ粘りが、この第4戦でも活きていた。だが、彼らの出塁を活かすべき3番小笠原と4番ラミレスが不調だった。後半大差をつけられてからラミレスに3ランが出たものの、それはもう遅いよという感じだったのだ。座った席は3塁側のS席で、日ハムファンもそれなりにいて、彼らが声援を上げるたびにこちらの気持ちは萎えていった。そして敗戦。しかも小笠原が1塁を回ったところで一度躊躇して、そのせいで2塁でタッチアウト。巧みな牽制に離塁してしまって刺された木村拓也を非難する声も多かったが、僕は塁間で躊躇した小笠原の方が問題だったと感じた。

 そして第5戦。ゴンザレスはよく投げた。2回の失点も2つのエラーによるものだ。脇谷と小笠原。彼らも一生懸命やっているわけで、それを責めるつもりはない。だがとても嫌な雰囲気を生み出したことは事実で、このまま致命傷にならなければいいなと思いながら見続けていた。回を重ねて8回。チャンスらしいチャンスは殆ど無く、主軸が次々と凡退していく。亀井などはバットを折られ、悔しさでそのバットをグラウンドに叩き付けた。スタンドの気持ちも沈み始めた。僕の席はライトスタンドにほど近い内野で、その辺りは巨人ファンの巣窟といってもいい感じの場所で、だから声援は止まることがなかったのだが、それでもひとつひとつの凡退にざわめきのような悔しさが漂い始めていたのだ。

 8回裏に1点を何とか返したものの、9回表にホームランを打たれる。これでざわめきは絶望感にも似た気持ちに変わってしまった。それでも9回裏に亀井と阿部のホームランで逆転サヨナラ。試合を通してとてもストレスフルな3時間だったわけで、それをたった4球で勝ったからいいじゃないかというのはちょっと納得いかない気もするのだが、それもまあ勝ったから言えることである。勝利が決まった直後の喜びは、ずっと負けていたウップンがあるからこそのものだったのかもしれない。

 8回裏の、スンヨプのデッドボール、鈴木の盗塁、大道の粘りのヒット。僕はこの3つを大きく讃えたい。出場機会の少ない控え選手たちが一生懸命頑張ったことで、この勝利への流れが生まれたのだと思う。原野球は全員野球である。山口や松本やオビスポのように、育成選手から這い上がってきたプレイヤーに日が当たるこのチームが好きだ。今朝のワイドショーではいまだに金満体質のチームが勝って当たり前だとか言っている人もいたが、そんなことはもう過去のことでしかない。あと1勝がとても重くて遠いのも知っている。昨年も第5戦で王手をかけながらも、目の前でライオンズの胴上げを見せつけられたのだから、そう簡単ではないのなんて判っている。だからこそこの勝利を喜びたいし、喜びに浸りたいと思うのである。

 海の向こうでは松井のヤンキースがワールドシリーズを制し、松井がMVPとなった。それも嬉しい出来事だった。ずっと願いが叶わなかった男の、最後の勝負に幸があって良かった。もちろんその陰に多くの敗者がいて、そういうことが、野球というスポーツなのだろうと思う。それは僕らが暮らす普通の社会とまったく変わらないとも思う。