Saturday, March 13, 2010

あきれたこと

 今週ちょっとあきれたこと。まあ毎週毎日あきれたり感動したりしているんだが。

 茨城空港開港のニュースの中で信じられない需要予測が報じられる。建設計画を立てる上で需要予測を立てるわけだが、全国にある99の空港のうち、資料が残っている75ケースのうち、その需要予測を実績が上回っている空港が8つだったということである。僕があきれているのは、「そんなに少ないのか」ではなく、「そんなに多いのか」である。想像としては需要予測など全部デタラメで1つも予測は当たっていないという印象だったのだが、8つも上回っているとは。上回っていないとしても90%とか80%とかをクリアしているものまで含めれば8つどころではないのではないだろうか。倍の16くらいはあってもおかしくないだろう。それにしても16/75程度なのだろうが…。
 
 もうひとつあきれたのは、国会の衆院厚生労働委員会で子ども手当法案が可決された。このニュースでは自民党の質問者が8人いて、時間をオーバーしたために質問途中で採決されて、それがまるで強行採決のように報道される向きもあるのだが、僕があきれたのはこの中の田村憲久議員の質問だ。子ども手当についてはいろいろと問題を指摘されたりしているが、質問でのポイントは、子どもを手当てするといいながらそれは親に対して行われ、その際に両親が海外にいて子どもは日本にいる日本人のケースでは支給されず、逆に海外に子どもを残して日本にやってきている外国人が1年以上住んで住民登録(市民権?その辺の細かい規定は個人的に未確認)をしている場合には海外にいる子どもの分も親に支給されるということらしく、他の自民党議員からは「宣教師の人たちが50人くらい養子縁組をしている場合でも支給されるのか」とか質問されていて、まあそういう場合はどうなんだろうなあと僕も思うが、長妻大臣の答弁によると、これは自民党政権下で実施されている児童手当の支給の運用方法に倣っているらしい。つまり、自民党政権時代から「宣教師の人たちが50人くらい養子縁組をしている場合でも(児童手当の至急要件を満たせば)支給され」ていたのである。そう答弁された後にも田村議員は「そのことを自民政権時に知らなかったのは反省すべきだが、そのことが判った今、このまま進めるわけにはいかない」みたいなことを真顔で絶叫していて、大丈夫かこの人と心配になった。与党だった頃の何かが悪くて世論の批判を受け、その結果が野党に転落するということになるわけで、その反省無ければ復活も無い。政権交代可能な二大政党制というのがいいのであって、民主党による長期政権がいいのではない。とすれば自民党がしっかりしてくれなければ話にならないというのに、過去の自分たちの反省を自らするのではなく、他者の欠点を非難しようとして結果それが自らの路線そのものだったということに、攻撃対象の他者から知らされるようでは愚かとしか言いようがあるまい。是非ともしっかりしてほしいという意味で、民主党の揚げ足を取ることの前に自らやるべきことがあるだろうし、それが無いから、民主の支持率が下がりながらもなお自民の支持率が反転していかないという結果に陥っているわけで、この質問にはその本質がすべて現れていたような気がして、あきれたのである。

 元ライブドア社長のホリエモンのところに差し押さえが入ったというニュース。最近のホリエモンの動向はというとバンクーバーに行ったり、メディアに度々登場したり、宇宙ロケット開発したりと結構活発で、それで「まだ隠し財産を持っているに違いない」とか勘ぐられるのだろう。
 これに対して堀江氏の主張はというと、すでに208億円の個人資産をライブドアに支払って和解しており、その原資を持ってすればすでに裁判所が決定した、当時の株価として妥当な200円という金額での和解は可能であり、すでに約半数の1500人くらいはその金額で和解しているというのに、それに納得出来ないという数人の元株主による訴えで今回の差し押さえがされたとのこと。もしも金額での解決に重点があるのであれば、自分のところではなくライブドアに行った方が確実に一定の金額は差し押さえが可能だったにもかかわらず、そこには行かなくて自分のところにだけ来ている。これは要するに訴えは株価暴落による金銭的被害であるのに、金銭的な保証を目的とせずに自分への嫌がらせでは無いのだろうか、というのだ。
 僕もその通りだと思う。ただホリエモンが誤解しているのは、世の中は数字的な合理性のみで動いているのではないということ。本当に元株主が金銭のみで動いているのであれば、ホリエモンに対してと同時にライブドアにも差し押さえにいくだろう。しかしそれはしていないのだ。ホリエモン憎しという感情のみなのだろうとしか思えない。
 ホリエモンは一時は時代の寵児としてもてはやされたが、あまりに目立ちすぎて追い落とされた。個人での活躍は羨望と同時に嫉妬を買うのである。一方で茨城空港のようにどう考えても赤字になるのが明確な計画に国費を投じさせ、国民に借金を負わせている人たちが沢山いて、その計画推進のためにバレバレのウソをしゃあしゃあと押し通している人がいて、そういう人は罪に問われることは無いのがこの国のシステムである。それは、国民全員が金銭的な被害に遭っているということが問題なのではなく、ウソをついた人やそれで潤っている一部の人たちの「顔」が目立っているかいないかということが問題なのだということを明確に証明してみせているような一事実だと思うのだ。
 こんな国なんだということがいろいろな事柄から浮かび上がってきて、とにかくあきれまくるのである。