Thursday, June 18, 2009

ごめんねごめんね〜〜

 昨日近所をウォーキングしていた。途中、胸突坂という急な坂があって、幅3メートルくらいだろうか、中央に手すりがあって、その両脇に階段状の坂がある。そのさらに両脇には自転車なども登れるように階段状ではない斜面もある。とはいえ自転車をこいでこの坂を上れるような人はほとんどいないだろう。なぜなら普通に歩いて登るだけで息が切れるのだから。最近もおばちゃん三人衆のウォーキング隊が「これ、登れる?」とかいう会話をしていたのを聞いた。いや、階段なんだから登れるだろうと思うのだが、下から見上げて登れるか不安になるのも頷けなくもない。そんな坂なのだ。

 僕はここを上り下りする時には階段状のところではなく斜面を歩くようにしている。どうも階段の幅が気に入らないからだ。普通の階段のように左右交互に踏みしめていくには段のギャップがあり、かといって右で上がって左を引き上げる(その逆もあり)のでは、なんか肉体のバランスを崩してしまいそうなのだ。斜面をいくのは太股の筋肉に負荷がかかる。まあそれもトレーニングだとか勝手に思い、そうやっているのである。

 それで昨日の話に戻るが、坂をおりていると、後ろから何やら音が。自転車だ。僕がおりていたのは僕から見て右側の斜面で、左側の斜面は自転車を押して上がっている人がいた。だから自転車で下りようとする場合は右側を通らなければダメなのだろうが、彼は自転車を押しているのではなく、乗ってスピード満点で下りてきているのだった。僕はその物音に気がついて階段状のところに避けた。その青年は「すみません」とか言いながらもツーッと過ぎていく。そして坂の中盤過ぎのところで、事件が。坂道の脇にある広場から小さな女の子が飛び出してきたのだ。自転車のブレーキの音。キーッ。女児固まる。自転車完全に停まりきれないものの、かろうじて女児と衝突することは避けられた。直前に僕のところで一旦ブレーキをかけていたから最悪の事態を免れたんだろうとは思うが、青年は女児に「ごめんね」と一言。それはもうものすごく気持ちのこもったイントネーションでの謝罪の言葉。本当に悪いと思ったのだろう。しかし、青年は反省して自転車を降りたりすることなく、そのまま坂を猛スピードで下りていった。

 ごめんねとはなんだろう。反省しているということじゃないか。反省とは、過ちを認めもう二度としませんという誓いである。だったら青年のごめんねは一体何の反省なのか。急な坂で猛スピードで自転車を走らせていたということがいけなかったのであれば、少なくともそこで自転車を降りるべきだろう。だが、降りない。女児に恐怖を味あわせたのは明らかに自転車の猛スピードであり、それを止めないのなら、ごめんねなんていう言葉は言わない方がいいし、言ったとしたらただ虚しいだけでしかない。

 足利の冤罪事件で栃木県警の本部長が菅谷さんに直接謝罪した。なんか歌舞伎役者の台詞のような感情のこもり方だった菅谷さんは「わかりました、許します」と応えた。いや、確かに菅谷さんの人生としてはこのことへの恨みで残りを過ごすよりも、理不尽であっても忘れることによって、せめて残りの人生を豊かにした方がいいだろうとは思うが、それにしてもお人好しだなあと思う。この本部長の謝罪とはなんなのか。一方で当時の捜査関係者は、この件に関して取材を受けてはいけないと指示されているという。トップが謝れば組織全体の問題を隠蔽できる、そのための形式的な謝罪なのだとしたら、とんでもないと思うし、今後も同じことは繰り返されてしまうだろうと思う。猛スピード青年のごめんねと何ら変わらないという気がしてならないのだ。

 ごめんねごめんね〜はお笑いコンビU字工事のヒットギャグだが、これはお笑いだという前提だからこの軽さでいいのだ。しかし現実のシリアスな場面においても同じように軽ーく使われているような気がするし、それが許されると多くの人が思ってしまっているような気がするのだ。