Tuesday, June 02, 2009

TV Bros


 TVブロスは変わった雑誌だ。名前の通り、本来はテレビ誌である。しかし、これは変わった雑誌だ。テレビ番組のことなんて伝えていない。いや、伝えてはいるが、伝えようとしているのはそんなことではない。カルチャーだ。それもちょっと違うな。カルチャーを伝えるのだぞよなんて大上段に構えていたりはしない。何となく面白いと思うものを何も考えずに書いたり印刷したり売ってたりしたらこうなりましたというような、その結果がカルチャーになってしまったような、そんな感じだ。

 今でもキラキラレコードで誰も売り上げを抜くことが出来ない大正九年が、やはり当時からTVブロスに載りたいと言っていた。それで僕も知ったのだ。確かに変なテレビ誌だった。その認識がそもそも間違っていたんだなということには後から気がつくことになる。ザテレビジョンもテレビガイドもどこに行ったのやら。あるだろう。まだ廃刊になっているとは思わないが、でももうコンビニなんかではあまり見ない。テレビ番組を新聞で知るような時代はもうとっくに無くなっているけれど、その代替としてあったテレビ誌でももう知ろうとせず、今は完全にインターネットでテレビ番組のことを知る時代になっている。だから「情報」を売りにしていたテレビ誌は勢いを失った。TVブロスはそもそも情報を売ることで戦ってはいなかったから、そんなカルチャーを愛する人から愛され続け、今もまだコンビニで勇姿を拝見することが出来るのであった。

 そんなTVブロスの今の表紙は忌野清志郎だ。どのメディアも一時熱狂的にその死を悼み、そしてだれもが忘れ去ったかのように他の話題に飛びついている今、わざわざ表紙に起用しているあたりが、その変なタイミングが、やはりブロス的というべきか。冒頭で「あれから1ヶ月経ったけれど」と断っている。この話題をどう取り上げるか、もしくは取り上げるべきか否かということも含めて、検討してきたんだけれどやっぱり載せようというような、そんな姿勢が、「俺たちこそニュースを伝えていくんだ」という使命感がなくて、好きだ。自分たちが勝手に好きなことをやっているという場合、この話題を好きだなんて言ってていいんだろうかという逡巡が感じられる。ニュースとしてはもう古くなったんだけれど、それでもやはり載せないではいられない、躊躇してちょっと遅くなったけれども、読者の皆さんにとって必要かどうかなんてわからないけれど、でも、載せます。載せたいから。そんなつぶやきが聞こえてくるような感じがした。

 そこにはいろいろな人が清志郎のことについて語っていた。表面的な言葉の羅列もあった。爆笑問題の田中のコメントはクソだった。番組にゲストで呼んで、太田とのじゃんけんの結果リクエスト権を得て、至近距離で歌ってもらったことがあるそうな。そんな「ゲストを呼べる冠番組を持つ売れっ子芸能人の一コマ」なんてどうでもいいのだ。だって、清志郎じゃなくても、他の週のゲストに対しても同じようなエピソードを書くことは出来る。清志郎は単にその番組に仕事として行って、パーソナリティの勝手な進行に乗って歌っただけのことじゃないか。仕事でやっているだけのこと。そんなエピソードを、清志郎のファンもブロスの読者も望んじゃいない。クソだ。やつのコメントはとにかくクソだった。

 でも、いいコメントも沢山あった。吉見佑子氏の「シングルマン再発運動」の話。面白かった。それだって音楽評論家としての立場だからこそ出来たことで、僕ら一般リスナーにはとても出来ないことである。だが、やらなくたっていいことだ。売れないから廃盤になった。そんなどうしようもない事実に対して、どうしようもないではいけない、いいものは再発させたい。そんな抵抗運動が、評論家としての立場を危うくさせるかもしれないというのに、好きなものを世の中に出そうとして頑張った。自主制作で再発し、1500枚を売り切って、再発にこぎ着けた。ポリドールには謝罪文を掲載させた。素晴らしい。泣けてくる。

 FM東京の取締役の「最低で最高」というコメントもよかった。タイマーズでFM東京の歌を、フジテレビの生番組で歌われてしまったこと。自社の生放送で清志郎版の君が代を歌われてしまったこと。会社としては最低の出来事だったが、それでも好きなのだと、だから出演オファーを続けたんだと。いいなあ。そんな愛し方もあるんだなあ。

 一種の反体制側からの清志郎観、そして一種の体制側からの清志郎観。いずれも愛すべき愛し方だ。美しいコメントを引き出す力が、ブロスにはあるんだなあと思った。

 そして一番いいコメントだなあと思ったのが、ハギワラマサヒトのもの。あるとき清志郎がブロスで連載を始めた。それがなんと自分のコーナーの隣に載るようになった。昔から好きだった清志郎と隣で連載。ああ、なんという巡り合わせだ。もちろんそれはハギワラ氏の体験であり、僕の体験ではまったくない。しかし、もしも僕がそんなことになったら、どんなに嬉しいだろうなあ。だから、ハギワラ氏の喜びもよくわかる。嬉しかっただろうなあ。

 しかも担当編集者が自分の連載と同じ担当者で、打ち合わせの席では自分の仕事のことを差し置いて清志郎談義に花が咲く。いや、会えてはいないのだ。会えていないのに、何か縁を感じただろう。つながっているという感じ。この人の向こうにあの人がいる。それだけで、実際に会うよりもずっと近くに感じただろう。

 その後、ハギワラ氏は肝臓病になる。すると清志郎からメッセージが。清志郎も肝臓を患ったことがあり、医者から匙を投げられたらしいが、それでも漢方で克服したとのこと。そのエピソードとともに漢方薬を送ってくれて、「俺も克服したんだから、ハギワラも頑張れ」と。ハギワラ氏は妻と一緒に「肝臓病になってよかったなあ」と泣いたという。なんという屈折。その屈折に、喜びの程度を伺い知ることができる。

 それは清志郎のほんの1エピソードだ。だが、そのエピソードにすべてが含まれているような気がする。会ってはいない。歌も流れていない。だが、そこには心がある。目の前で歌ってもらっていながらも心の交流がまるでないエピソードと較べて、なんという感動秘話だろうか。そんな文章を引き出しているブロスにも、僕は拍手を送りたい。


 今僕の手元にそのブロスはなく、思い出しながらこの文章を書いている。だから細かな部分は間違っているところがあるかもしれない。大筋で間違ってはいないと思うが、どうかみなさんには、実際に手に取ってみてもらいたいと思う。