Saturday, May 23, 2009

PB:首を絞める向上心

 最近の日経新聞のトップ記事に複数回「PB」という文字を見た。PBとはプライベートブランドの略だ。

 そういえば確かに最近のコンビニではPB商品が目立つようになってきた。お菓子とか、ドリンク類などではもうほとんどのコンビニでPB商品が並んでいる。しかもこれ、お店の中でももっともいい場所を占めているのだ。これ、僕はなんか恐ろしいことだなあと思うのである。なぜなら、コンビニは流通業であり、製造業ではない。しかしPB商品を展開するということは明らかに製造業の領域に手を突っ込んでいることなのだ。

 本来は流通業と製造業は共生する関係である。製造業がいい商品を作り供給することで、流通も売り上げを伸ばすことが出来る。もちろん現場では両者の力関係で立場の優劣がバランスを変えることはある。小さなお店には仕入れの値引きもあまりないし、売れ筋の商品はあまり回してもらえないこともある。一方で販売量の大きな大規模店やチェーン店では、優先的に商品を回してもらったり販促グッズをもらえたり販売応援があったりリベートをもらったりすることもある。それが流通業者同士の不公平につながるという問題はあったとしても、だからこそ小さな店は商売を大きくしようと思うのだろうし、大きくなれば同じような優遇を受けられるようになるわけで、総じて言えばやはり流通業と製造業は共生の関係であり、駆け引きはしても争いはしないのが、原則である。

 しかしこのPBというのは、流通業が製造に手を出すというものであって、店内のいい棚を取り合うという意味で、流通業そのものとの戦いを意味する。それまでの関係性とはまったく違う次元の局面に突入するということに他ならない。PBのお菓子コーナーは、それまでは別の製造業の商品が並んでいた。しかしPBが出てくることによって優先的にその棚を押さえてしまい、それまでその棚にあった商品は閉め出しを食うのだから、当然売り上げは落ちる。まさにPBが一般製造業者のシェアを奪うということが起こっているのである。

 これは結局製造業の力を奪い、新製品開発の力を削ぐ。そうすると「いい商品」が出てこないことになるわけで、魅力的な商品がないお店に人は行かないし、行っても物を買おうと思わなくなる。製造業者がライバル他社のシェアを奪って叩きつぶすというのはいいのだ。それはいい商品を作るということであり、それによって全国的な販売が増えれば経済は活性化する。その競争に敗れる会社には商品開発力や営業力が欠けているという問題があるわけで、力のない企業は消えていくというのは経済の原則であり、その競争をするのは厳しいけれども意味があることだ。しかし流通業、しかも社会的な影響力の強いコンビニチェーンなどでのPBというのは、その商品が他の一般製造業の商品と同じ土俵に乗っていないという意味で、そんな商品によって一般製造業者の商品が叩きつぶされるというのは大きな問題なのだと思う。それが良い商品であろうと良くない商品であろうと、そこに並ぶのは決まっているのだ。普通はいい商品にするために宣伝とか営業の努力が必要となるし、そのために当然経費をかける必要がある。しかしPB商品にはその部分の努力が全くないから、そのコストの違いが価格に反映して安くなる。PBを開発している人たちはそれでも「商品には自信がある」と言うだろう。しかしその商品が関連チェーン以外では販売されていないという事実が、その商品に価値がない、あるいは同じ土俵で勝負していないということの証拠であり、もしも商品として価値があるなら、他のお店からも「それを売りたい」ということになるはずだ。

 僕はこれはある種の談合のようなものだと思う。公共事業を特定の業者に順番に割り振りすることが談合であり、それを実施するためには一般公開入札にしないとか、予定価格を事前に入手するということが必要になってくるわけで、だから贈収賄という犯罪が必要条件になってきて、だから悪いことだと言われるしされている。もちろんその談合で予定価格目一杯の発注を実現することで、国民の血税を特定の業者が食い物にするということもひとつの犯罪性となるわけだが、それは同時に、多くの業者の間で競争するということが起き難くなり、それが日本全体の発展を阻害するというポイントこそが、大きな許しがたい点なのだろうと思う。

 同様に、PBというのは競争の質をゆがめるということで、真っ当な社会競争を阻害していることになってしまうのである。それは製造業者の素晴らしい商品を供給してもらうことによって販売を伸ばし、今日の大きな販売インフラとしての地位を確立してきた流通業にとって、活動のもっとも基盤となる供給サイドの首を絞めることで、結局は自らの首を絞めている行為に他ならない。要するに自殺行為でもあると思うのだ。

 こういうことになっている背景としては、やはり企業の業績拡大神話というか、拡大への飽くなき追求というものがあると思われる。やはり企業である以上売り上げアップは至上命題だ。小さいよりは大きい方がいい。しかし、売上が下がることだって当然あるということも認められて然るべきで、そうなった時に過剰に批判にさらされてしまうという傾向が非常に強いという現状があるのだ。実際にほとんどの企業は銀行からの借り入れや、株式公開による資金だったり、社債発行などでの資金もある。こういうものは売り上げによる手元の現金などとは違い、他者からのお金ということなので、そういった出資者の満足や安心を得るためにも、前年度からの業績マイナスだったり、赤字などは厳禁であって、そういうことが起きると出資者の資金引き上げの要因となってしまう。だから必要以上に業績拡大を求めることになるわけだが、じゃあそんなに業績は毎年上がるかというと、僕はそんなことは妄想に過ぎないと思うのである。なぜなら、需要は国内に限って言えば人口は減少しているのであって、人口が減れば総需要は落ちて当然である。世界的な景気の波にも影響を受けるし、そうなってくると前年と同じ努力をしていても、前年と同じではなくマイナスになることは当然である。前年に空前の拡大をしてしまったらその業績が基準となった次の年は、空前の業績と同じだけの結果を出してもプラスとは言えなくて、だから評価は下がってしまったりする。

 じゃあどうするかというと、コンビニなどは店舗数を増やすことで業績を上げてきた側面がある。1店舗あたりの売り上げが落ちても、店数が増えれば全体の売り上げは上がったりする。だがそれもやがて飽和状態になり、これ以上店舗数を増やすことは難しいということになってくる。そうなってくると、他の手法で業績を上げる必要があるのだが、じゃあどうするか。そのひとつの答えがPBなのだろうと思う。つまり、これまで商品を供給してきた製造業者に、その営業や宣伝にかけるコストやそこの社員の取り分を含めた「製造業が本来受けて然るべき利益」を流通業が奪うということである。そういう動きは、商品を供給してきた製造業を疲弊させることになるし、最終的には我々消費者も不利益を被ることにつながる。しかしそれでも僕らはPB商品がちょっと安かったりすると買ってしまうし、製造業の営業担当の人も、真っ向から反対して喧嘩してしまうと、かろうじて残っている自分たち向けの棚さえも無くなってしまう恐れがあるから何も言えない。でもそんなことは本当はいけないことなんじゃないかなあと思うのだがどうだろうか。

 PBのように不公平な競争をして業績を拡大するという手法にもやがて限界は来るだろう。なぜなら人口は減って需要そのものは全体的に下降するのであり、そういう条件を抱えた市場の中で業績を右肩上がりにしていくことが要求されるのだから。そうなると次の新たな方法が要求される。それが合併吸収である。流通業同士の過当競争から、敗北するコンビニが出てくるだろうし、その時に一方の勝ち組コンビニが負け組を買収して吸収するということだ。実際に今ampmが売りに出されていて、ローソンが買収するような話が出ていたものの条件が合わず白紙に戻ったとか言われている。かつて沢山あった都市銀行がどんどん合併して4グループくらいに集約されてしまったのもその一環だろう。それは保険業界なんかもまったく同じ状況だし、車業界でも古いメーカーがどんどん巨大メーカーに買収されていったりしている。もちろんこれはそう単純な話ではないし、他の要因もたくさん絡み合ってそういう結果になっているわけだが、基本的に「業績を前年比で拡大していかなければならない」という「常識」のもと、普通に営むということが難しくなっているような気がしてならないのだ。そうやってどんどんと業界の境界線を越えた戦いおよび吸収合併が繰り返されることによって、僕らは巨大な企業体だけしか残らないという時代に向かっているのではないだろうかと思う。そうなってくると個人が新しい試みで企業を興すということはますます難しくなっていくだろう。個人商店が郊外型巨大ショッピングセンターに淘汰され、商店主だった人が廃業してショッピングセンターでパートで働くようなことが経済の様々な場面で起こっているのが現在の日本の状況なのだろうと思う。だから希望が持ち難い時代だと言われるのだろうと思う。そのひとつの現れがコンビニのPB商品展開なのであり、それを強いているのが「前年比アップ」というお題目なのだと思ったりしたのだ。