Sunday, May 24, 2009

グラントリノ


 今月の初めに観た。忙しくてしばらく書けなかったが、これはとてもいい映画だ。

 アメリカという他民族国家において、歴史における優位者と新興の者。この対比が美しく描かれているように思う。その象徴が主人公が持っているグラントリノだ。かつてフォードに勤めていた主人公は古い家に独り住んでいる。子供たちは独立して出て行き、周囲はアジア系の住民ばかりが集まるエリアと化している。時代は変化する。その変化が気に入らない。勝手な理屈で親に接する子供が気に入らない。古き良きアメリカを浸食する新興アジア系住民が気に入らない。だが、変化を止めることは出来ないのだ。

 だが、その見方が間違っているということに主人公は気がつき始める。間違っているのは時代の変化ではない。古いものがよくて新しいものがダメだという思い込みが間違っているのだ。それを気付かせてくれたのが隣人のアジア系住民であり、彼らとの交流に心を開いていく様がコミカルでとても面白い。

 だが映画だからか幸せだけが永遠に続くことも無く、トラブルが起こり、それに立ち向かう。最後は息をのむ展開だ。

 この映画には、誇りが描かれていると思った。たくさんのものを持っていても誇りを持たずに生きている人や、何も持っていないけれども誇りだけは失っていない人。いや、それは違うな。きっと誰もが誇りの意識は持っているのだ。ただ、その誇りを何に持てばいいのかが判らずに過ごしている人が沢山いるのだろうと思う。クリントイーストウッド演じる主人公コワルスキーも、最初はグラントリノをその誇りの象徴としていた。だがそれは誇りではなく固執である。それがやがて誇りとなり、自分自身こそが誇りそのものと昇華していく過程が描かれている。

 最後の方のシーンで隣人のモン族一家が正式な民族衣装を身にまとって家を出てくる場面がある。これには泣けた。凛とした人の、背筋が伸びた生き方を見たような気がした。そういう風に自分も生きていきたいと思った。