Thursday, May 14, 2009

メディアの意思と国民の意思


 一体全体どういうことなんだと思う。毎日新聞の記事には岡田25%、鳩山13%と国民世論調査というのが発表されていた。まあ、それはいい。現在まで報道されているところでは民主党所属の衆参国会議員の投票で決まるといわれている次期代表、しかも国会議員の勢力では鳩山有利となっている。それに対する判官贔屓的心情もあるだろうし、岡田氏の方が若いし、鳩山氏は小沢代表の元で幹事長だったし、この数字が出ることには不思議はない。

 問題なのは、使われている両氏の写真だ。鳩山氏が苦渋に満ちているような写真であるのに対し、岡田氏は満面の笑みをたたえている写真が使われている。このまま選挙用ポスターにも使えるだろうが、鳩山氏がこれを選挙ポスターに使ったとしたら自滅である。そのくらい印象の好悪がはっきりと違った写真を使っているのだ。この写真を見せられて、支持率の違いを見せられたら、あまり定見のない人ならば、どちらかというと岡田氏を好きになるだろう。そしてそんな岡田氏ではなく鳩山氏が代表になった場合、民主党の議員は感覚がおかしいとか感じてしまうだろう。だが、それは世論誘導でしかない。そういう結果になることを判っていて、そういう写真を選んで、良しとしてしまう毎日新聞政治部のトップというのはどういう感覚をしているのだろうかとか不思議で仕方ない。そういうチョイスをすることで何を狙っているのだろうか。そしてそういう狙いを実施することで、どの勢力に組しようとしているのだろうか。

 こういう世論調査というのは世論調査のネタをチョイスする時点で意思というものが働いている。あたかも世論調査がある論説の根拠であるかのような要素として使用されているが、それも使用方法によってはおかしな結果になってしまうケースがある。こういう例えがいいのかどうかは判らないが、ある人が道を聞こうとして「郵便局はどこにありますか」「ローソンの向かいです」と言われ、「では、ローソンはどこですか」と聞き直すと「郵便局の向かいです」と答えられる。これは全く意味がない。同じようなことは世論調査にも現れる。ある政治家の評判を貶めようとするなら、最初は独自の取材によってその政治家のどこかひとつでもおかしなところを探してくる。そしてその点をドーンと報じる。ここまではまだその取材の確かさは確定していない。その直後に「世論調査」を行う。報道を見た人は「この政治家は悪いやつだ」と思う場合が高まり、世論調査で「政治家をやめるべき」とかいう声が挙る。そうするとそれが大義名分になり、「やはりこの政治家に信頼は置けない」という報道がされていく。その報道を見てさらに世論は傾いていき、世論調査第2弾が行われると悪いやつだと思う率もますます上がっていく。悪いやつに思う(思わせたい)スパイラルはどんどん自己増殖を続けていくことになるのだ。

 報道というのは難しいと思う。いや、僕は別に報道する立場なんかではないが、しかし僕を取り巻く社会はこういう報道に多分に影響を受けるわけだから、無視してばかりもいられないと思うのだ。だからその難しい報道に携わる人には、ぜひとも慎重で公平な扱いをして欲しいと思うのである。今回の民主党次期代表問題についても、百歩譲って数字を出すのまではいいけれど、その写真の使い方は明らかに恣意があるだろうと思うし、そんなやり方は公平なメディアとしての在り方を著しく歪曲しているということに気付いて、猛省してもらいたいと思うのだ。

 だったら、「結局捜査が立ち止みになってしまっている二階大臣の問題は集結したと思うのか」とか「鴻池副官房長官の辞任が健康上の理由だけなんだと答えた首相や官房長官の言葉を信頼できると思うか」とか「検察の捜査は偏っていると思うか」というような世論調査もガンガンやって欲しい。

 いや、そういう調査をやった方が日本のためにいいとか思っているわけじゃないですよ。そういう恣意的でどこかの勢力に取って特別に有利になったり不利になったりする可能性のある調査というのは、公平のようで公平ではないし、だからそういうことはすべきではないし、それをどうしてもする必要があると思って、実行する際には、極めて公平な感覚の元で取り扱って欲しいという思いを、逆説的に示しただけのことです。