Wednesday, July 01, 2009

知事の反乱について

 知事の反乱が先週くらいから話題になっている。メディアも面白可笑しく取り上げていて、まるで平成維新だといわんばかりの持ち上げようだ。だが、非常にくだらない。そのくだらなさを明確にしようと思っていろいろと書いていたらどんどん書き続けていて、さすがに僕も、こりゃブログの文量じゃないと思って、アップするのを止めた。

 だが、書いてまったく黙ってしまうのもなんだなあと思って、その文章を書いていてなんとなく僕なりに至った結論についてのみ、書き直すことにした。

 今回の動きを大雑把に言うと、主に東国原宮崎県知事が「私を自民党総裁候補として戦う覚悟があるのか」と古賀誠氏に言ったことと、橋元大阪府知事が全国の首長と連携して支持政党を明確にすると言ったことの2つがある。東国原氏は、「自民党が言ってきたからそういう問いかけをしただけだが、そういう問いをした以上もう自民党であり、民主党からの立候補はありません」と言っている。一方橋元氏はこれから支持政党を決めていくと言っている。この両者のやろうとしていることはまったく別の立場だし別の方法論であって、これらを一緒に論じるのは無理があると思う。だが、メディアは基本的にまとめて同じ動きであるかのようにまとめてしまっている。

 東国原氏の動きがくだらないのは、国会に色気がある東国原氏と自民の窮状をなんとかしたい古賀氏の思惑を最大に活かすためによく練られた出来レースであるということだ。これが出来レースではないと思わせるために自民のいろいろな人たちが反発のポーズを示している。「くだらない」「顔を洗って出直せ」とか、この人たちが憎まれ役を買うことで、東国原氏の立候補受け入れが自民党の変化を演出するという一役を担っているのだ。こういう発言をして、東国原氏が立候補して当選したらしこりが残るだろうとか思う人もいるだろうが、自民党は党を除名されるほど対立した人を復党させ、大臣につけるほどの節操のない政党なのだ。このくらいの発言がしこりになるなんて思うのは青年のような純粋さと言わざるを得ないし、そんなに純粋さだけで動く程自民党はピュアではない。そして、東国原氏を総裁候補にするくらいのことは、村山富市氏を首相にしたことに較べれば遥かに軽い出来事でしかなく、今彼の人気を最大限に利用することさえ出来れば、あとはどうにでもなるとくらいにしか思っていないはずである。

 橋元氏の動きがくだらないのは、彼が立場を鮮明にしていないということだ。国政を語るのであれば、国政に転身しなければ意味がない。そうしないのであれば、単なる圧力団体に過ぎない。国全体のことを考えての動きではなく、自分たちが身を置く地方自治体にとってもっとも都合のいい政党を押すんだというだけであれば、それは医師会や農協や労働組合などが自己の利益のために特定政党を支持しているのとまったく同じなのである。つまり、それは結局は国の政治を歪めるだけのことになるのであって、決して地方にいいことがイコール国の幸せではないということを、有権者は理解しなければならないのだろう。

 橋元氏は「特定政党を応援すると、その政党が破れた時には冷や飯を食わされることを覚悟しなければならない。」とか言っているが、何を今更言ってるんだと思う。というのは、これは革命に口を出すということであり、負けたら殺される覚悟でなければダメなのだ。もちろん実際に殺されるはずはないが、しかし特定政党を応援している以上、現在の自分の立場などに拘泥していてはだめなのだ。それでもし、自分が応援した政党が負けたとして、それでも知事を続けていることで大阪が冷や飯を食わされるのだとすれば、政党を支持したことと知事の座に居座ることのミックスによって、大阪府民が不利益を受けるということになるのだから、なにをおいてもその時点で辞任すること以外に道はないだろう。それが府民の最大の利益を追求する結果になるのだと思う。逆に、「もしこの次の選挙で支持政党が負けるようでは自分も辞任することになるんだ」ということを宣言することによって、橋元氏そのものを応援しようという気持ちのある人たちは、国政のことはどうでもいいけれど橋元さんは応援したいのだからということで、応援する政党の票を伸ばすことにもつながるだろうし、そういうことを考えても、今の橋元氏の立場はいかにも不鮮明、かついい加減だなあと感じるのである。

 今回のことを平成維新とかいう人もいるが、では明治維新はどういう勢力によってなし得たのかということを見る必要があるし、それを考えれば、彼らの動きがいかにバカらしいかということが判る。まず、明治維新を動かしてきたのは、中央政府たる江戸幕府から遠ざけられて冷や飯を食わされていた薩摩長州の2藩であり、地方大名の藩を脱藩した武士たちである。全国の知事はどうなのか。冷や飯は基本的には食わされていない。彼らが担当している自治体が冷や飯食わされているだけで、しかもその原因は国からの甘いささやきを鵜呑みにして、土建屋に無理な発注を繰り返してきて締まったことのつけに過ぎない。それを改善するために国政に口を出すというのはそもそもがお門違いなのである。

 これまで民主党が民主党でなかった頃から、政権交代を掲げて頑張ってきた人たちがいる。そういう人でなければ、この一大国家事業は完成されないのだと思う。今まさにそういう流れがでてきていて次の選挙では民主党が政権を取るかもというところに来て、突然のように「俺は国のことを考えていて、まさに千載一遇のチャンス」とかいいながら、自分で作った流れではないものに勝手に乗り込んできているのも厚かましいと思うし、厚かましいだけならまだしも、彼らが聖人面して「我々の正義をどちらが飲むのか」みたいなロジックで世論をミスリードしてしまうことは、この大きな流れを逆行させたり、混乱させたりするだけでしかない。そんなことは簡単に判ることだと思うのに、何故この動きをメディアは取り上げているのかが正直判らない。くだらない。迷惑だ。そんな気持ちを純粋に抱く、不愉快な動きだと思う。