Saturday, June 11, 2011

居場所探し

 もともと好きでよく訪れていたとはいえ、見知らぬ街、京都に引越して1ヶ月以上が過ぎた。ここが当座の僕の居場所だ。

 でも、本当はここはまだ居場所ではない。

 居場所って何だろう。自分が心安らかに居られる場所。それがここでいう居場所だ。引越した新居は東京で住んでいたマンションとほとんど同じサイズに同じ間取りだった。だから慣れるのにさほど時間はかからない。荷物はまだ片付けられてはいないけれど、それでもこの家でどこにいればいいのかはすぐにわかった。押し入れのある4畳半がもっともくつろげる場所だ。高い棚も置かず、だから多少揺れたところで何かの下敷きになる心配も無い。だが、それで心安らかになれるというものではない。そんなに単純なものではない。

 僕は福岡で生まれ育った。今でも帰省すれば見知った街並の中で10代の気持ちに戻ることが出来る。だが、そこも僕にとっての居場所ではない。10代の終わりに僕はその街を出ることを決めた。具体的には大学に進学するためだが、卒業したって福岡に戻るつもりなどさらさらなかった。その通り、東京で就職し、そして独立して東京で20年間会社を経営してきた。人生の半分以上はここで生きてきたのだ。友人のほとんどもこの街に暮らしている。僕は東京で働き、暮らし、一生を終えるものだと思っていた。だから、僕にとって東京という街は居場所だったのだ。

 しかし、3月の地震を機に東京を離れることになった。人生とは何が起きるかわからないものだ。津波に襲われて家や町を失った人、さらには命を落とした人。そういう人と較べれば実にちっぽけな変化かもしれないが、ずっと暮らすつもりだった場所を離れるというのもそれほど些細なことではない。ずっと過ごす場所を離れることで僕はある意味漂流者になったのだ。京都が僕の居場所になるのか、それはまったくわからない。今のところはかなり気に入っているし、ここ以外の選択肢は他にない。だが、20年暮らした福岡、26年暮らした東京と同じレベルで実感出来るような材料はまだ無いのが本当のところだ。暮らせば知り合いも出来るだろう。しかし、学生の頃に出会ったような友に出会うことは、この歳になって、東京だろうが京都だろうが難しいことだ。

 人生は一寸先は闇である。しかし、薄ぼんやりとした光がずっと遠くまで見えているよりも、一寸先が闇の方がステキだと思う。なぜなら、その闇の先には今以上に明るい光が待っているかもしれないからだ。漂流したところで、落ち込んでしまう必要などは無い。この新しい場所が自分にとっての居場所となり、これまでには見えなかった可能性に触れるチャンスでもあると思う。前向きに、この新しい街で頑張っていきたい。そうやって頑張ることで、もっともっとこの街を好きになれるのではないだろうか。

 
 土地ということだけが居場所なのか。そうではないと思う。今回奥さんと2人で見知らぬ街にやってきて、お互い頼れるものは2人だけになった。フリーライターをやっている奥さんは、東京では自宅で仕事をしていた。キラキラレコードのオフィスまで歩いていける距離だが、会社にきて仕事をすることなどなかった。それは当たり前のことだった。彼女はキラキラレコードの仕事をするわけではないし、自宅で自由に自分の仕事をすればよかったのだから。僕から見て多少不健康なくらいにずっと家にこもって仕事をしていた。そのくらい、家にいることが好きだった。

 しかし、今回京都に移り、彼女はほぼ毎日会社に来ている。多少キラキラレコードの仕事を手伝ってくれたりもするが、基本は彼女自身の仕事をしている。電車賃を使って会社に来る必要は別に無いけれど、会社に来るのだ。それは、彼女にとってまだ自宅マンションが彼女の居場所になっていないということなのだろう。結果、僕ら夫婦は四六時中一緒にいる。それを嫌がっているというのではない。むしろ僕の方も、見知らぬ街で常によそ者意識を持って暮らしている中で、彼女と一緒にいることで安心を得られているというのが正直なところだ。京都で生涯暮らしていくという確信はまだ無いが、彼女と生涯暮らしていくという確信はあるわけで、そういう意味では2人のいる場所が今のところは僕らの居場所ということになるのかもしれない。

 今後京都で生活をして、仕事上でも多くの人たちと出会っていくだろう。そうすることで僕らにはそれぞれの時間が生まれてくるだろう。それはそれで悪いことではない。だが今は、お互いを頼りながら暮らしていけばいいのだし、頼れる相手がいるということを再確認できたというだけでも、知らない街に引越すことも悪くないことだなと思うのである。


 追伸:京都には魅力的なお店が沢山ある。そしてどこも割と敷居が高い雰囲気を発している。そういう時も一人じゃないということが大きなプラスだ。彼女が会社に通ってきてなかったら、僕のランチ事情は随分と寂しいものになっていただろう。やはり、2人でこの街を開拓していって、徐々に好きになっていけるんじゃないかと期待している。生涯住むかどうかは別として、住む以上は楽しく暮らしたいじゃないか。

 追伸2:会社の隣にある家の屋根が、窓のすぐ外に広がっている。このところその屋根に1匹のネコがやってくるようになった。広い屋根の中で、なぜか窓のすぐ近くでひなたぼっこして、時にはずっと会社の中を覗いている。毎日夕方近くにやってくるそのネコが、僕らにとって京都で最初の友達になった。