Tuesday, December 02, 2008

渡辺喜美

 朝のワイドショーに生出演。このところ麻生政権に批判的なコメントをカメラ前で連発していたのだが、生出演ということでちょっと注目。底の浅さを感じる。どういうところが底が浅いのかというと、要するに麻生批判の根拠が希薄なのである。批判が自己目的化していて、司会者の「じゃあ、どうすればいいんでしょうか」という質問に対して、自身の政策を披見する、そこまではこちらも期待していないものの、じゃあ麻生政権批判する以上は退陣を要求するのかというと、それさえしない。政治家は批判の際には対案をというのが鉄則のはずで、民主党が行う政権批判に対してはこの鉄則を必ず振りかざしてくるのが与党自民党の常套手段なのだが、その自民党議員が自ら選んだ政権を批判するときに、その対案を示さないとはちゃんちゃらおかしい。野党は通常政策の根本から違うわけで、だから現政権の大方針の上に成り立つ具体策に対して対案を出すということは、野党としてはその否定する与党の大方針を一旦認めた上での施策アイディアを示すことになり、それはえてして自己否定、自己矛盾を生みかねない危険なことでもあるのだ。しかし、今回のケースは与党議員の発言であるから、末節の具体案を出すということもその根本の大方針については概ね賛成の前提がある訳なので、だったら普通に自分の対案を示すことは可能なはずなのだ。でも、今回のケースは渡辺善美氏は麻生政権と距離を置く立場にあって、だから政策の根本となる大方針にも不賛成であるかもしれない。そもそもそれで同じ政党に属しているというのがおかしな話でもあるが、まあそれはそれとして、立場が異なり、現政権が非常に危うい状況にあるなら、それを否定して打倒を表明してもおかしくないのに、それでも、「じゃあどうすれば」という問いに対して政策としての対案も示せなければ、退陣要求もない。
 
 いやいや、問題はそんなに単純ではないんだよ、今退陣させてしまったら選挙に突入しなければいけないわけで、そうなると(自分が)困るから、それを大々的に要求することは出来ないんだよ、とか言われそうだ。もちろんその通りだろう。でも、だったらメディアに、マイクの前に出てこなければいいのだ。しかし一言だけのマイク前コメントならば深い話をしなくても済む。だから調子に乗って喋ってしまったのだろう。その結果番組に呼ばれて、中身のない批判しかしていないということが露呈してしまう。いや、出てきて良いんですよ。でもそこまで出てしまったらさらけ出すしかなく、さらけ出したら、それは自分にとって結局マイナスになってしまうということを、出る前に気付いて欲しかったなあと思う。
 
 以前大臣をやっていたときに、テレビの前で泣いたりしていた。その時に、足を引っ張る人がいるとか言ってボヤいていたけれども、本当は足を引っ張られていたのではなくて、この人を応援しようという人がほとんど居なかったということだったのではないだろうかとか思った。これがボンボンの限界ということなのだろうか。