Wednesday, November 03, 2010

20周年ベスト解説〜「砂になったラクダ」天空快


(上記バナーをクリックすると本日の曲をお聴きいただけます)



20周年を記念した3枚組ベストアルバムをリリースすることになった。毎日、1曲ずつ紹介しています。1日限定で楽曲をアップしていきますので、よろしければお聴き下さい。(曲は毎日変わります。次の解説ブログがアップすると、このページの楽曲も新しいものに変わってしまいますのでご了承下さい。)

13. 「砂になったラクダ」天空快(2004年「KEMONO CRATCH」KRCL-63)
 2000年代中頃から後期にかけてのキラキラレコードを代表するアーチスト、天空快。最初にライブを見た時にぶったまげた。すごく地味な風貌だが、演奏している曲のセンスは図抜けていて、個人的に「静かな天才」と確信した。風貌は凡庸だ。ルックスで売れるタイプではない。もしもルックスで売れるような要素をかけらでも持っていたなら、きっとこんなにひねくれた曲を作ることは不可能なのだろう。ひねくれたと言っても世をすねて不満たらたらというのではない。視点がユニークなのだ。ユニークというか、絶望的で未来的。決して後ろを向いたりしない、それが超ポジティブな僕の心をとらえたのかもしれない。そして僕は決してメインストリームな考え方を持っているわけでもなく、そういうのも彼が一部で熱狂的な支持を集めながらもなかなか広がっていかなかった一因なのかもしれないなと、今は思う。
 2004年に1stアルバムをリリースするのだが、それも決して簡単なことではなかった。彼のリリースにはある一定の条件を出していた。元来アーティスティックな天空快は、作品作りに対する意識が強く、それを広めようという部分が弱かった。それではなかなか広がっていかないし、広がっていかなければいい作品も埋もれるだけである。彼の音楽は埋もれるべきではない。もちろんレーベルとしても努力したし、金額は言えないが、プロモーションに桁が違う投資をしたのは間違いない。その投資をするにあたって、最低限不可欠なものはやはり本人の強い気持ちである。それがあって初めて、投資は車の両輪として回っていく。最初に彼に提示した条件は、あとから思うとそんなに高いハードルでもなかった。だが最初にちょっとしたハードルを超えるということが、その後の活動や意識を支えると思ったから、そのハードルを超えることにこだわったし、彼もそれをクリアしてくれた。少々時間はかかったものの。
 そこから激しく活動を展開していって、アルバム3枚、シングル3枚をリリース。2007年には夏だけで39本の全国ツアーを決行した。九州に行った際には僕も福岡に帰り、実家に泊めてあげたりと、家族を巻き込んだ一蓮托生で頑張ったのも強く記憶に残っている。行く先々で評判はいいものの、なかなかCDセールスは伸びず、期待の高さと反比例する実情に、本人もレーベルもやきもきしながら過ごす日々が続いた。そんな中でもリリースだけじゃないアーチストとしての包括契約を結び、出来る限りバックアップしていきたいと思い続けたものの、なかなか結果が出ず、今年初旬にすべての契約が終了した。天才なのは間違いないと今も思っているが、それをもっと売り出すことが出来ず、後悔も大きかったアーチストだ。
 この曲は最初にライブを見てぶったまげた、まさにその曲。童話的で、叙情的。人間の想いは有り得ないストーリの中にも活き活きと表現されるんだということを実感させてくれる名曲。彼はこの歌で、地のストーリーとセリフの部分を声色を使い分けながら歌っている。他の曲を聴いても、こういう声色で歌っているのはこの1曲しかないのだけれど、天空快といえばこの声色が一番大きな印象として残っているし、他の曲も全部この声色を使っているんだと錯覚している人も多い。そのくらいインパクトを持った曲なのである。キラキラレコードからリリースしたCDには2つのバージョンがあって、これは1stアルバム「KEMONO CRATCH」に収録されたシンプルなもの。その後シングル「ディランのレコード」に収録されたバージョンではラクダと少年のセリフが左右から分かれて聞こえるようなミックスになっている。今から思えば、この余計な工夫をするような意識が、全体的に彼の作品をよりマニアックにしていったのではないかという気もする。シンプルなこのバージョンが、最初に彼と出会ったときのインパクトを一番現しているような、そんな気がする。