Thursday, January 05, 2012

2012の抱負

インディーズに出来ることとは一体なんだろうか。

 インディーズというのはメジャーの大局にある存在であり、音楽ジャンルなどではない。すなわち、マイノリティであるということこそ、インディーズそのものなのだ。だとすれば、自らが大衆を迎合する必要などはない。むしろ、大衆を迎合するようではインディーズでは有り得ないということなのだ。

 マイノリティであることが確定した以上、言いたい放題でいいということになる。ここで言いたい放題というのは、2つの意味があると僕は思う。1つは「誰からも共感されることを期待していないこと」、もう1つは「いつか誰かが共感してくれることを期待する現時点での少数意見」である。

 誰からも共感されることを期待していないことを吐くのは単なる自己満足だ。しかし、いつか誰かが共感することを期待する意見というのは次代のリーディングオピニオンである。この間には絶望的な開きがある。しかし、共にマイノリティであるがために、現時点では同じものだと解される。だから、蔑まれ、無視される。力を持ち得ない状態が長く続いてしまう。

 だが、社会は確実に変わる。ちょっと前までは出来なかったことが出来るようになる。反対にみんながやっていたことを誰もやらなくなったりする。変化はある日突然朝起きたらそうなっていたというようなことではない。最初は1人が始め、周囲の数人が続き、世の中全体へと広がっていく。そう、社会の変化はどこかの誰か一人から生まれてくるのである。

 その最初になるのは、実は苦しい。世の中の常識に囚われずに新しい考えを絞り出すことがそもそも大変なのに、新しいことを理解出来ない周囲から馬鹿にされ、阻害される。古い世界で生きる方が楽な人からは攻撃さえされる。常識に唯々諾々と付き従っている方が絶対に楽なのだ。

 しかしそれでは変化することは出来ない。変化しないということは、腐り、沈むということに他ならない。

 
 僕は思うのだ。大きなものは社会的にもしがらみを持ち、図体のでかさから小回りが利かない。簡単にハンドルを切ることなど出来ない。そこで新しい声を上げるということは絶望的に困難である。図体のでかい組織が繰り出すイノベーションは、基本的に図体のでかい組織にとって都合のいい新機軸であり、現状の格差を固定し、広げていくに過ぎない。それは本当の変革ではない。

 だからやはり、マイノリティが声を上げることが変革には絶対的に必要なのだろうと思う。それは行動でもいいだろうし、発言でもいいだろうし、場合によっては歌でもいい。僕のやっている音楽レーベルに出来ることは、そんなことなのだろう。どんなに無視されても、どんなに後ろ指を指されたとしても、やるべきことを凛としてやるべきだ。何ができるのか、それはまだわからない。でも変革が今まで以上に必要とされているのが今だ。そのことはハッキリしていると思う。


 変革のために何かを始める、そんな2012年にしていかなければいけないと強く想う。