Sunday, November 06, 2011

TPP〜準備不足であることを無視した論議

 昨今話題のTPPだ。来週にも野田総理は交渉参加を表明すると言われているが、それでも賛成反対の意見がそれぞれ激しくなっている。現時点で政府は推進一色のようだが、自民の大多数と民主の約半分が反対しているようだ。その他の野党もほとんど反対で、だから民主党が党議拘束をかけさえしなければ、議会では否決されるはずだ。だが、民主は党議拘束をかけるだろう。そうなると民主の反対議員はどうするのか。今回は離党してでも反対だと主張する人も多く、だから新たな政界再編のきっかけになるかとも言われている。

 僕個人はというと、今回のTPPには反対だ。しかしだからといって多くのTPP反対論者とまったく同じかというとそうではない。むしろ気分としては賛成論者の方に近いというのが本音である。

 どういうことか?

 日本は現時点で完成している社会ではない。当然だ。世界規模で社会は変化している中で、社会が完成するなど有り得ないことだからだ。繁栄を極めたローマ帝国だって崩壊するのだ。変わらなければ滅びるというのは歴史の最大の教訓である。その前提に立って日本を見た時、世界の変化にまったく対応していない、極めて危うい国家であることは明白だと思う。

 社会が硬直するのは、身分が固定し、率いるものが肥え、学ぶことを止め、自らにのみ安住の社会を変えようとしないところから起きる。変えないためには、率いられるものが現状に疑問を持つのを阻害することが必須である。そうしないと世の中の矛盾に気付き、不満を覚え、革命を起こそうとするからである。今の日本はまさにそういう状況にあると思う。戦後は国家として立ち上がる必要があったため、全員で学び、頑張った。しかし今は戦後に権力を持ったものがその立場を盤石にするために他者の学びや頑張りを阻害するような動きに走る。これで国力が上がるはずがない。創業したワンマン社長がカリスマ性を持ってみんなを率いている間は成長するものの、初代が退き番頭さんが社長になった時、社内政治の駆け引きが始まり、業績が低迷をはじめる。それと同じだ。駆け引きでトップに立つことだけに汲々とし、自らの墓穴を掘るような失点を回避するために冒険的なことはやらない。そういう政治が、今の日本で行なわれている。

 だから、高度成長期を過ぎてバブルに浮かれて以降の日本は、変化に対応する準備が出来ていなかった。

 今回のTPPにおいて、農業が崩壊すると言われている。それは補助金付けにして競争力を失わせてきたからだ。TPPによって崩壊するのではなく、政治や制度によって既に崩壊しているというのが正しい。関税率778%で守られなければ対抗できない産業はやはり産業とは呼べないと思う。もちろん主食を自給するというのは国として正しい方策だが、778%はやり過ぎだ。ウルグアイラウンド農業合意でミニマムアクセスとして米の輸入を開始したあとも、その米は国内消費には使われていない。関税の問題以上に農業は幾重にも守られている。いや、守られすぎている。

 守ることがよくないというのではない。過剰に守ることで、進歩も意欲も失われてしまうということなのだ。

 今回のTPP参加推進派の論理として、日本はなかなか変わらないのだから、TPPによって外圧で変わっていけばいいのだというものがある。僕の気持ちもかなりそれに近いものがある。だが、今回のTPPはどうやらかなりの劇薬のようだ。その劇薬を投与すれば、準備のないこの社会はかなりのダメージを受ける。だから、賛成か反対かと問われれば僕は反対する以外にないと答える。しかしそれは今回のTPPを回避すればすべて万歳ということではまったくない。今回、変化への準備がまったくできていないということが判ったのだとすれば当然自ら変わるための準備も努力もしなければならないということになる。そう、変わらないといけないのだ。世界はどんどん変化する。経済はすべて連動している。鎖国でもしようというならともかく、それは絶対にできないのだ。

 現在TPP反対の議員さんたちはどういう思いなのだろうか。議員さんだけじゃなく一般の人たちもどのような思いで反対しているのだろうか。もし、今回TPP参加を回避できれば「ああよかったよかった、これで日本も安心だ」と思っているのであれば、それは僕の思いとはまったく違う。劇薬を投与するには体力も乏しく、だから今劇薬を投与するのは阻止しなければというところまではいい。が、阻止できたあと、劇薬にも耐えられるような体力を付ける必要があるし、そのための努力は苦しくともやり遂げなければならないという思いが、反対派の人たちにどのくらいあるのだろうか。僕は極めてその点が心配なのだ。なぜなら、劇薬投与を避け得たからといって相変わらずの不摂生を続けているようでは、結局早かれ遅かれこの社会は死に絶える以外に道は無くなってしまうからだ。