Friday, December 16, 2011

音楽の届け方

一昨日アップされたchromeのCM、音楽が広がっていく様を1分1秒のクリップに表現してある。1つはレディーガガ、1つはジャスティンビーバー、そして1つは初音ミクだ。







 この映像は素晴らしい。素晴らしいと言っている人もそれなりに見かける。ガガをマドンナの後継とみるのは間違いで、まったく違ったポイントに立っているアーチストなのだと。それはある意味正しい。その正しさを十分に認め、認識した上で、なお僕は多少の否定的な視点も強調したいと思っているのである。

 これらの映像で、多くの人は可能性を感じただろう。ガガの映像では、ガガという巨大なポップアイコンと直接つながるという可能性を。自らのパフォーマンスがポップアイコンの一部となり昇華していけると。ジャスティンの映像では、自分もポップアイコンになれるという可能性を。ちっぽけな自分がある時誰かの目に留まり、注目の存在になれると。そして初音ミクの映像では、別にライブなどやれなくても音楽をやっていいんだという可能性を。そしてその個人的な音楽がつながり、世界に広がっていくんだと。

 それらは、決して間違いではない。インターネットは僕らに可能性を与えてくれた。そしてそれは過去形ではなく、現在進行形の、未来へと続く可能性の波だ。かつて初めてmosaicでインターネットに接した時、NASAのHPを見た。ホワイトハウスのホームページを見た。クリントンのペットの犬の写真を見た。どこぞの大学に置いてあるコーラの販売機にあと何本のコーラが入っているのかを知った。地球の裏側にある何かをリアルタイムに知るということを体験した。当時のそれをネットサーフィンといった。波に乗るのがサーフィンだ。その波は今も絶えることなく押し寄せてくる。そして、その波に乗ることによって、僕らは自分自身が波になっていく可能性だってあることを知った。

 音楽レーベルをやっている者として、宣伝はとても貴重だ。創業当時は、テレビ、ラジオ、雑誌によって知らせることしか方法がなかった。知人にライブ告知をするにも電話かハガキだった。100人にハガキを送ればそれだけで5000円かかる。音を聴かせたいと思ってもその方法が限られる。ラジオで流れても、それをリアルタイムに聴ける人はそう多くない。CDショップの試聴機に入れてもらったとしても、せいぜい1週間から10日ほどで次に代わる。ショップに行ける人以外には絶対に届かない。

 しかし今、ネットによって状況は変わった。誰もが自分のことを発信することが出来るようになった。自分のホームページを作ることも出来る。myspaceに自分の楽曲をアップすることが出来る。ライブのビデオをYouTubeにアップできる。厚い壁に囲まれていたような世界が当たり前と思っていたのに、その壁はいとも簡単に崩壊した。それが、今だ。

 chromeのCMが示しているように、もはや誰もが発信者になれる。そのことは疑いようのない事実だ。だが間違ってはいけないことがある。それは壁が無くなって、壁によって守られていた誰かと、壁によって阻まれていた誰かの立場が逆転可能になったということでしかないということだ。壁があろうがなかろうが、絶対的な価値を持った者にも、逆に絶望的に価値を持たない者にも、その変化は何も意味をなさないということを無視して浮かれるべきことではないのである。

 一部マスコミに出る者だけが発信者だった時代に較べて、ネットにアクセスできる人すべてが発信者になったというのは、数十億単位の人たちが何かを発信するということだ。Facebookでは今年9月の時点で8億人が参加しているらしい。彼らが日々なにかを発信している。そういう中で注目を浴びるというのはどういうことか。Twitterでもっともフォローされているのはやはりレディーガガ(現時点で1699万人)だが、それ以下もすべて有名人が名を連ねている。つまり別のどこかで有名になっている人が注目を浴びて、動向を注目されているということである。無名の一般人がそのランキングに付け入る隙はどこにもない。

 僕と付き合いのある多くのバンドの中には、ただホームページを立ち上げているだけで、そこに情報を載せたからもう告知をした、発信をしたという人たちも少なくない。当然彼らのライブはガラガラだ。CDも売れない。聴くとTwitterもmixiもfacebookもやっていないという。やっていたとしてもマイミクが30人、すべてリアルの世界での知人だけ。それでは発信したうちに入らないだろうと言うが、どうもピンとこないようだ。目の前に可能性が広がっているというのに、それをまったく無駄にしている。とてももったいないと思う。

 ネットなどなくとも、売れる者は売れていく。逆に、本当に売れないものは売れないのである。

 しかし、その中間というのが確実に存在する。インディーズというのが一般的になった時もそうだったのだが、それ以前ではメジャーに属していないことには作品を発表することさえ出来なかった。言い換えれば、メジャーに属するということ自体が特権階級だったのだ。しかしインディーズが登場し、メジャーに属さなくても作品を発表することは可能になった。今回のネットのうねりはそれに似ている。メジャーになれなければテレビやラジオに出ることはかなり難しく、一方メジャーに属していれば無名の新人でもキャンペーンで出演することは普通にあった。その差は絶望的なまでに大きなものだった。しかし、ネットで発信をすることで、インディーズのミュージシャンも自分の音楽を伝える手段を得たのは事実だ。それを使って最大限のアピールをすればいいと思う。別に1000万人のフォロワーを得なければダメということではない。CDセールスが100万枚にならなければダメということでもない。まずは1000人のフォロワーを獲得し、500人のマイミクを獲得し、その人たちに向けて毎日発信をすることから始めればいいのだと思う。そうしてまずは1000枚のCDセールスを実現できれば、世界はちょっとだけ変わるだろう。千里の道も一歩からだ。これまでは、その一歩さえ踏み出すことが許されなかった。それが可能になっただけでも大きな福音だ。

 今回のchromeのCMは、何もしなくてもスターになれるような誤解を生むような気が、僕はしている。だからといってそれがまったくの無意味だとは思わないのである。これは例えば、エステのCMに似ている。どこかのエステで劇的に痩せたという人が登場する。それは、真実だろう。しかし、だからといってそのエステに入会しただけでは絶対に痩せない。劇的に痩せたのはごく一握りに過ぎないのだ。そのことを無視して「痩せなかった」と批判してもまったく意味がない。

 エステは努力によって身体を変えることが可能なんだということを教えてくれる場所だと思う。それが宝くじとは決定的に違うポイントだ。音楽もそう。努力によって状況を変えることは可能なのだ。黙っていたら、発信する何億もの人の中の1人という状況から変わらない。そこから抜け出し、ある程度の反応を得るための努力。それをすることが可能になったんだということを最大限に利用しなければ、このネット社会の中であっても何も変わらないんだということを知っておかなければ、間違えると思う。