Wednesday, November 09, 2011

音楽の価格について

 Twitterで「今の音楽業界の価格設定等は公正なものであるとお考えですか?」という質問を受けた。当然140文字では答えきれないと思うので、ブログに書くことにした。

 で、いろいろ書いたけれど説明的に過ぎて余計分かりにくくなったから一度全部削除した。

 結論からいうと、公正というのが何を指しているのかはよくわからないけれども、価格設定は妥当であると思う。

 CDの価格は、弊社はアルバムで2400円(税抜)、メジャーだと3000円近辺というのが一般的だ。それが高いのか安いのか?牛丼1杯250円も珍しくない時代に、10曲で3000円というのがどうなのか。多分そういうところを質問されているのだろうと思う。

 まず、音楽は食事とはまったく違うものだ。メシは1日3回食わなければいけない。一方で音楽は聴きたくなければ聴かなくても済む。だが、心の栄養だと僕は考える。極めて趣味性の高い存在であり、それを安くしなければならない道理はないし、そもそも安く手に入れた心の栄養などで、リスナーの心が高められる満たされるなどとはまったく考えていない。

 次に、音楽制作にはお金がかかる。録音機器の進化によってかかる経費は抑えられるようになってきたが、それでもお金はかかるのだ。それを捻出するための収益は絶対に回収しなければならない。それはうちだけの話ではなく、音楽表現をするすべての人にいえることだろう。そうじゃなければただの趣味だ。趣味では音楽の質の向上も望めない。音楽の質が向上しなければ、結局損をするのはリスナーだ。その論理に納得できないリスナーは無料の音楽をmyspaceで聴きあさればいいと思う。

 売れているスターたちはともかく、まだこれからというバンドマンたちの日々の活動というのは過酷である。バイトをして生計を立て、疲れた身体でスタジオに入って練習をする。レコーディングにも金がかかる。ライブだって客が入らなければ赤字になる。CDも売れなければ赤字だ。ツアーをしようと計画を立てたって、移動の交通費は自腹で、行った先でギャラがもらえることは稀だ。それでも自分たちの音を届けようと懸命にやっている。そんな彼らが売っているCDRが1000円だとして、「パソコンで焼くだけでしょ、CDR代なんて100円もしないでしょ」という人が時々いる。アホかと言いたい。なぜにそんなに叩く必要があるのか。100円もしないような音楽がそんなに欲しいのか。欲しいという気持ちが強いなら1000円払ってやれ。そんなに欲しくないのなら、そもそも叩くなといいたい。

 CDの値段を半分にしたとして、同じ利益をあげるためには倍売ればいいという話にはならない。たくさん儲けたいとまで思っていなくとも、せめてかかった経費は早めに回収したいと思うのが普通だ。しかし値段を半分にすることで回収がはるか遠くになってしまう。それを強いるのはもはや音楽ファンではないと思う。そんな人の願いを、ミュージシャンもレーベルも含めて、聞く義理も必要も一切ないはずだ。

 もちろん、学生など可処分所得が少ない人たちの実情というのもあるだろう。だが僕らだって学生の頃に好きなだけレコードを買えたわけではない。だから大切にしたし、何度も繰り返して聴いた。それが心の栄養になったという実感もある。それは今の学生にも同じことがいえるのではないだろうか。昔と違ってゲームや携帯代にお金を使ってしまって音楽にまでお金が回らないとしたら、それはその人の選択がそうなのだというに過ぎない。携帯で話やメールをしたいから音楽の値段を下げてくれというのはおかしな話だ。それによって音楽の売上げが落ちているというのなら、音楽を創る側の努力が足りないということになるだろう。猛省して一層努力しなければならないと思う。

 しかしその努力は決して安値競争への努力であってはならない。より良いものを創る努力だ。携帯電話との競争という観点であれば、むしろスマホの中で何度も再生されるようなものを生み出す努力、リスナーがその曲を再生中に電話がかかってくると「いい曲を聴いている時に電話なんてかけてくるなよ」とイライラしてくれるような、そんな曲をどうやったら生み出せるかに意識も資本も才能も集中させるべきだ。

 牛丼の話だが、都内の牛丼屋は外国人従業員の比率がかなり高いと実感している。コストカットを突き詰めると、そういう雇用にならざるを得ないのだろう。外国人が悪いという訳ではない。しかし音楽では金を稼げないとなると、国内で音楽をやろうと思う人たちがどんどん減ってしまう。それがいいのか? K-POPばかりがチャートに入るようになってしまっている原因にそういう要素はないのだろうかとさえ思う。決して日本純血主義を唱えるつもりはないが、そうなったらいい音楽を気軽に手に出来なくなる訳で、やはりリスナーが被る損害は大きいのではないかと思う。

 ただ、現在の音楽の流通については少々危惧しているところがある。CDだとamazon、配信だとiTunesがかなりの割合になってしまっている。これは国内のIT業者が思うように活躍できていないからなのだが、結果、国内で創造された音楽による利益が、海外へと持っていかれてしまっているのが悲しいところだ。彼らが持っていく金額の比率も然ることながら、それによって国内のレコード店がどんどん閉店に追い込まれているのはとても残念だ。それだけ音楽に触れる機会が減るということでもあるからだ。もちろん、つぶれて当然というようなレコード店も少なくない。ただ単にチャートに載るCDだけを置いていたというお店は、もはや単に流通のチャンネルでしかないわけで中継ポイントがネットに移れば取って代わられるのは必然だし、仕方がないと思う。しかし一方でお店からの提案がきちんとなされているようなお店までもが苦境に立たされているのは悲しいことだ。それはCDの売上げが減ったメジャーメーカーが返品率や掛け率という取引条件をお店に厳しく変更しているからなのだが、そういうところは一般のリスナーに見えにくいところである。発信のないお店が淘汰されるのは仕方ないにしても、発信のある、リスナーに取って意義あるお店までもがまとめて苦境に立たされるのは大きな損失であるといえよう。

 また、amazonやブックオフの台頭で、中古CDがかなり安く流通しているのも危惧するところだ。特にamazonのマーケットプレイスでは1円のCDなども珍しくない。あれはどうしてかというと、1円で売りながらも340円の送料を取って90円のメール便で送ることで、その利ざやを稼いでいるのだ。中古だから当然アーチストやメーカーへの還元はないが、それにしても儲かるのはヤマト運輸と佐川急便だけというのは、なんともおかしな話だと思う。

 話は逸れたが、CDの定価については、個人的にはもっと高くてもいいと思うくらいだ。だからといって値上げはしないけれども、かといってダンピングもするつもりはない。その値段に見合うと思う人が多ければ売れるし、少なければ売れないというだけのこと。「オレはたいした音楽を創ってないから、CDの値段安くしていいと思うんだ」というアーチストのCDなど売りたいとは思わないし、第一リスナーに失礼だ。もちろんリスナーはそういうダンピングアーチストのCDなど買うべきではないと思う。もっとも「オレの音楽には価値があるから」といって、CD1枚に5万円の値段を付けるのはどうかと思うが、少なくとも「アルバムで2500円〜3000円という価格帯で出す価値はあるぞ、オレの音楽」という自負のあるアーチストと一緒に誇りある仕事をしたいし、そういうアーチストでなければ、そもそも自分の音楽にお金出してもらおうと考えてはいけないと思う。