Monday, January 09, 2012

東京の空

昨日から今日にかけて、東京に行ってきた。正味27時間の東京行き。

 毎年やっている新年会に出るためだった。この新年会はここ数年僕が幹事で続けているもの。大学の語学クラスの友人数人で集まる身内の会。仕事でモスクワに赴任している友人が帰ってきているのでそのタイミングに合わせる。今年はfacebookなどで連絡が取れるようになった旧友も数人追加して、7人が集合。そのfacebook上でなぜかその語学クラスのグループページが出来て、そちらで別の旧友が同窓会を2月にやるよと言うことになった。基本的にそういう流れになるのはいいことだと思う。旧交があたたまるのは悪いことではない。だが、それは2月の開催で、僕が企画し続けているのは1月。モスクワから一時帰国する友人に会おうというのがひとつの趣旨なので、合同のものにするわけにもいかない。かといって、あちらが2月でこちらが1月になると、参加者は分散してしまう可能性もあるだろう。結果的に2月の会の足を引っ張るようなことはしたくないのだ。ちょっと困ったなという感じだった。

 で、僕はいつも新年会に来ている面子と、2月の会のことを知らない時期に声をかけていた面子だけを誘うことにした。かといってある程度連絡を取ろうと思えば取れる相手にまったく知らせずに一部だけで集まっていると思われるのもイヤなので、会の前日に、場所を明記しない形で参加を呼びかけてみた。まあそれは僕の言い訳のような呼びかけだった。幹事というのはけっこう気を遣って、みんなの都合も考えるし、会場をどうしようかということも考える。だけどそれは幹事が過剰に思っているだけで、実際はみんなそれぞれ自分の都合で生きていて、参加も不参加も自分の都合だ。それを非難しているのではない。それが当たり前で、幹事の思いというのは大抵いつも余計なお世話、取り越し苦労に過ぎない。それに2月の話も絡んできて、ああなんか面倒くさいなあ、新年会で会ったら2月の時に再開の感動も薄れたり、新年会で集まったヤツとそうでないヤツでなんか溝が出来たりしないかなあとか、まあ自分勝手な妄想で気苦労をした。面倒な性格だよ、オレ。

 結果、当初の面子だけの集まりで新年会は行われた。僕の気苦労なんてまったくどうでもいいくらいに、みんな普通に楽しんでいた。それでいいよ。楽しかったね。2月にまた東京に来ることは出来ないけれど、皆さん楽しんでやってください。会の最中に写メとか送ってくれたら嬉しいよ。


 明けて今日。バンドとのミーティングなどをした後に別の友人に会いに行った。それは大学時代よりもはるかに昔からの、もう40年になる付き合いの友達。会いに行った先は国立病院の救急病棟だ。

 大晦日に彼は倒れたらしい。正確には激しい頭痛を感じ、かかりつけの病院に行き、そのまま大学病院に搬送されて入院。くも膜下出血だった。僕はそのことを初詣先の神社で知らされた。共通の友人との電話で、7日には東京に行くことを告げると、是非その時に一緒にお見舞いに行こうと誘われた。彼は元旦から入院先の病院で、倒れた友人と、その家族のケアをしているという。金曜と土曜は仕事でどうしても都合が付かないけれども、それ以外は毎日見舞いにいっているらしい。

 その彼の車に乗って、入院先の病院に。くも膜下という言葉の響きから想像するのは即命に関わる重症ということ。でも、ベッドの上の友人はケロッとした顔つきで、言葉によどみがある感じも一切なかった。僕が来たことを喜んでくれて、1時間半くらい話し続けた。話す内容は実にくだらないこと。身体に何本もの管がつなげられていなければ、ここが病院だなどと感じることは一切ないくらいの、そんなたわいない話。

 そんな話の中で、12日の手術で、最悪もう戻って来ないかもしれないから、その時は盛大な会で送ってくれなどと言う。そういうことを笑って喋る。僕はどう答えればいいのだろうか。僕は、自分の手術の時の話で切り返した。その手術は手首の骨折を元に戻すためのもので、命に関わるようなものではなかった。しかし全身麻酔をすることになっていて、その麻酔にミスがあれば、最悪そのまま意識が戻って来ない可能性があると言われ、同意書にサインを求められた。そんなミスはほとんど無いのだろうが、それでも最悪のケースを予測して、そうなったとしても文句を言いませんという書類にサインをするのはけっこうヘビーなことだ。だから、「わかるよ、俺もサインするのイヤだった」とかなんとか話した。でも友人の手術はくも膜下だ。脳の手術だ。手首の手術とは訳が違う。リスクは麻酔だけではない。そんなことは僕もわかる。だが、そういう以外になんと言えというのか。言葉にはしないが、友人自身だってそんなことは当然わかっている。わかっているから、笑顔でそんな軽口を叩くのだ。

 1時間半ほど話をしたところで、僕ら2人は病室を後にした。残された友人はまだ話を続けたそうだったが、たくさんの管につながれている状態で、話をするのも負担になる。疲れは表情に現れていた。この辺が帰るときだ。そんなことも、僕ら3人にはわかりきったことだった。


 有意義な東京行きだった。結局は、友達に会っただけの、そんな東京だった。でも、友人に会うということは、人生の中のかなり大きなことだと思う。そのために、僕らは生きているんだ。



 帰りの新幹線の中、僕は前野健太の歌を繰り返し聴いていた。曲のタイトルは「東京の空」。前野健太というシンガーは、京都のお寺でのライブで初めて見たのだ。その時、「鴨川」という歌に感動した。当時の僕は東京に住み、京都に憧れているだけだった。「鴨川」という歌は、深夜バスで東京から京都に行く光景を軸に、人間の彷徨うような在り様を歌った歌だ。雨が雪に変わり、雪は川に変わり、川は何に変わるのだろう。そんな歌詞に人生を投影した歌だ。僕は京都のお寺で初めて聴いた時にはそんなことまで感じていなかった。CDで聴き込み、吉祥寺で見たライブで本当に理解したように思う。

 その半年後に僕ら夫婦は京都に引越をしたのだが、引越をしてすぐに、彼が京都でワンマンライブをやると聞き、二人で観に行った。そのライブのアンコールで歌ったのが、この「東京の空」。サビのフレーズで「東京の空はただ青かった」というのを繰り返すバラード。27年東京に住み、きっと東京で一生を終えるだろうと思っていた、そんな街が東京だ。そこから離れて、なんの思いももうそこには残してなどいないと思っていた矢先に聴いたその歌。ずっと前から知っていたし、確かにいい歌だと思ってはいたものの、所詮単なる普通のいい歌に過ぎなかった。なのに、まったく違った歌に感じた。27年暮らしていた東京の空が青かったなんて印象はほとんどない。むしろ少し薄暗いような、そして夜は星なんて見えるはずもない、そんな薄霞に覆われたようなイメージしかなかった。なのに、僕の心の奥が感じていたのは、まさに青い東京の空だった。もちろんそれは実際の東京の空ではない。離れてみて、東京のそらは青さで輝いているように思えたのだ。そのことに気付きもせずにいたのに、歌にそのことを突きつけられた。

 空が青いというのは、単純に見れば希望のイメージだ。しかし東京の空が青いというのは、そんなに単純なものではない。単純ではないから歌に気付かされるのだろうし、ここで簡単に言葉で説明することも出来はしないのだ。

 それでも無理矢理に言葉にするなら、それはたぶん諦めの青なのだろう。いろいろな夢を東京は呑み込む。そこに住む人は、これから夢を見る若者と、夢を諦めかけている人。諦めれば、夢の街東京を離れればいい。しかし、離れるのは無理なのだ。夢を諦めた人に、今度はまた別の種類の夢を見せつける。本人が思いもしない幻想を人に植え付け、本来ならば下ばかりを見て過ごすような人の顔を無理矢理に上げさせ、茫漠とした未来に向かわせる。そんな種類の夢を絶えず繰り出してくれる街、それが東京だ。東京の青い空は、決して希望ではない。かといって、絶望などでも決してないのだ。絶望などしなくても生きていける、表舞台とはかけ離れた隙き間のような場所が無数にあって、そこにいつのまにかスーッと収まってしまう。その懐の広さが、人々を捉えて離さないのだろうと思う。僕はその場所から一旦離れた。そのことに悔いなどない。未練もまったくない。だが、今回東京という街に再び一人で訪れて、心に風が吹き込むようなうら寂しさを、新宿の街中で強く感じた。溢れるような人の多さは、京都の祇園祭宵山かと思うくらいだった。しかし宵山の四条通にあるような祭りの雰囲気ではなく、一人一人がまったくつながりを持たないような個の群れが新宿だ。何かが決定的に違う。そういう個の群れというのは、その言葉だけを見ればマイナスのイメージを持つ人も多いだろうが、実はみんな個であることを楽しんでいる、自覚的に楽しんではいなくとも、けっして居たたまれないような不快感など持ってはいない。そういう積極的な個の群れなのだ。独立して、心地の良い個たちの集まり。でも、きっとさびしいという気持ちは、無意識であるかもしれないがみんな持っているように感じる。

 それが、東京だ。大都会東京。メガロポリス東京。世界的な都市東京。その東京の空に、人々は吸い寄せられる。そのことに、僕はある種の驚きを抱いた。離れることによってその魔力のようなものを初めて理解した。そして再び訪れてみて、その魔力とは結局一体なんなんだろうということに、また迷いを感じ初めてもいるのかもしれない。

 京都に帰る新幹線の中で、僕はその歌を繰り返して聴いていた。時速250kmで離れていくその街を忘れるためなのか、それとも忘れたくないからなのか、その理由は今も解っちゃいないのだけれども。

 そうこう書いているうちに日付が変わった。昨日今日の旅は、もう一昨日昨日の遠い過去の旅に変わってしまった。