Thursday, November 01, 2012

覚悟

 IWJというのがある。岩上安身氏が主催する報道団体だ。

 IWJは昨年の初め頃だったか、それとも一昨年の暮れ頃だっただろうか。岩上氏がUstreamを使ってインタビューなどを報じ始めたのがきっかけだと記憶している。亀井静香や森ゆうこなどへのインタビューを行なっていた。郷原弁護士などにもインタビューしていた。その頃は岩上氏自身がUstについてさほど詳しくなく、自前のパソコンでどのくらいのことが出来るのかを試行錯誤していた感じだった。iPhoneでの中継でかなり画質が粗いものなどもあった。

 それは大手メディアとは違う報道が広まり出した頃だったともいえる。ニコ生は少々先行していろいろな番組をやっていた。ケツダンポトフというダダ漏れ番組に注目が集まっていたのもその頃だった。それに比べると岩上氏の試行錯誤は見てる側からももどかしいくらいで、オッサンがITに疎い感じが全面に溢れていた。しかしながら彼のやりたいことは明確だったし、そこでしか見られない聴くことができない情報はたしかにあった。

 当初は小沢一郎への不当な司法圧力への抵抗という印象があったIWJだったが、昨年311以降は東電や政府への切り込みが増えた。そこでしか見られない、そして見るべき情報がたくさんあった。東電の会見はいつも唐突で、深夜に行なわれることもしばしばだった。それをきちんとフォローしてくれていた。事故直後の熱のようなものがあった頃から、毎回たいした情報も無くなって多くの報道がその会見を報じなくなったあとも、IWJはずっとそこにいた。そういうものがそこにあるという安心感があった。たとえ毎回その中継を見なかったとしてもだ。

 東電会見だけじゃなく、政府発表の会見なども細かく中継をした。政府とは違う説を主張する学者のインタビューやシンポジウムも細かく中継した。デモが始まればデモをリアルタイムに中継した。東京にいない僕もまるでそこにいるかのようにその雰囲気を感じられた。警察発表のデモ参加者数がいかに当てにならないかということも、そういうものを見ないとわからない。わからないでは、僕らは次の判断が出来ないから、やはりそういう情報ソースは必要だと思う。政府発表やマスコミの報道がいかに偏っているかを知った今では、その必要性はいや増していると思う。

 そのIWJを主催する岩上氏のTwitterでは、このところ会員数についての悲痛なつぶやきが続いている。今年の夏頃の中継数を維持しようとすると5000人ほどの有料会員が必要なのだという。だが現在3800人ほどらしい。見ている人の数はそんなものではない。だが、有料会員となると3800程度になってしまっている。それでは今の規模の中継を維持することは無理なのだという。

 今の規模の中継を維持せずに、スタッフも解雇し、岩上氏1人になったとしてもIWJは続けるのだという。だが、それでは中継できない「事実」が表に出てこなくなる。だから岩上氏はそれを避けたいと強く願い、会員数を公にして、支援を求め続けている。

 大手新聞は毎月5000円近くの購読料を取り、それで1000万人もの読者を抱えているところもある。IWJをそれと較べても仕方ないが、その大新聞を批判する人が多いにも関わらず、IWJのような奇特なメディアを支えようとする人があまりに少ないのには驚く。結局大手新聞を支える人の方が多いのだ。それも圧倒的な差で。1000万人と100万人の差ならまだわかる。1000万人と10万人でも、まだ仕方ないなと思える。だが、1000万人と3800人だ。その差はなんと2631倍。これで正しい報道を求めるなんていうのは絵空事だ。

 
 覚悟と題したのは、IWJを応援したいとかそういうことではない。僕が昨日TLを眺めていたら、岩上氏の一連のツイの続きにあるバンドマンのつぶやきが目に入ったからだ。「ライブ出演の誘いを受けた。ノルマ有り。さて、どうしたものだろうか」というもの。これを見て、ああ、両者の覚悟には天と地ほどの開きがあるなと感じた。

 バンド活動にライブはつきものだ。ライブをやるにはライブハウスに出なければいけない。ライブハウスはボランティアでやっているのではなく、商売だ。そこに出てライブをするのであれば、ライブハウスも儲けさせなければならない。ライブハウスに出るバンドの大半はまだ無名で、だから集客は簡単ではない。だが集客ゼロではライブハウスも大損害だ。だからノルマというハードルを設定し、バンドマンのケツを叩く。集客できなきゃ自腹だよ。だからバンドマンは頑張って友人たちに声をかける。いやあ、バンドマンも楽ではない。

 楽なのが良ければ、ライブなどやらなければいい。自分の部屋でギターを鳴らして歌って悦に入っていればいい。だがそれでは広がらないよ。そしてそんな活動に誰も振り向いてくれないよ。

 バンドマンは自分で音楽を表現して、それを他人に認めてもらいたい。だから人前で演奏をする。言葉で「良かったよ」と言ってくれる人もいる。そこから進んでライブのチケットを買ってくれる人、CDを買ってくれる人が出てくる。CDが3000円だとすれば、その音楽には3000円払う価値があるという評価だ。CDが100枚売れているバンドと、10000枚売れているバンドでは、「その音楽には3000円払う価値がある」と評価した人の数が100倍違うということだ。認めてもらいたければ、CDを売らなければいけない。ライブのチケットを売らなければいけないのだ。それができなければ、自分の音楽には価値が無いと認めなければいけなくなってしまう。

 それでも、なかなかチケットは売れない。だから、ノルマがあれば怯む。そして演奏をする機会をひとつ失う。

 これは岩上氏が会員数が伸びずに現状の中継規模を縮小するということと同じだろう。ノルマが無いライブを探すというのは、無償でボランティアで手伝ってくれるスタッフを捜して、人件費を抑えようということと同じだろう。だが、岩上氏はそうしたくない。スタッフにはちゃんとメシを食わせてやらなきゃと思っている。食わせてやることで、歳を重ねていずれくる自分が一線を退かなければいけない日にも、この報道中継という機能が失われないような社会を築いていくことを目指している。要するに本気なのだ。だから、Twitterで執拗に有料会員になってもらうためのお願いを続ける。

 僕は、売れないバンドマンがそのくらいの執拗さで「ライブに来てほしい」「CDを買ってほしい」「買ってもらえなければ自分が音楽を続けていけなくなるんだ」「自分の音楽が続かなくなるのは世界中の音楽ファンにとって大きな損失なんだ」と主張しているのを寡聞にして見たことがない。もちろん、音楽はエンターテインメントであり、夢を売る商売という一面もあって、そんなに切実な風を見せることがどうなのだろうという意見もある。僕もそう思う。だが、それはある程度の基盤が確立できる人の言うことである。売れなくて、ライブのノルマもカツカツなバンドは、生き残って自分たちの音楽を続けていくためにも、四の五の言っている暇があったら訴えていくべきだ。必死でお客を呼ぶべきだ。そうしないと活動は縮小する。縮小していく音楽に未来はない。そしてなにより、本人が必死でない音楽表現に対して、他人であるリスナーが必死で好きになる理由がないではないか。

 自分こそ本物の音楽をやっているんだというミュージシャンが必死にならなければ、いわゆる商業音楽に負ける。自分こそ本物の音楽を求めているんだというリスナーが必死にならなければ、いわゆる商業音楽だけがはびこることになる。だからもっと必死になってもらいたいと思うし、ミュージシャンはむしろハードルの高いものにこそどんどんチャレンジしていってもらいたいと切に願うのである。

 そうでないと、IWJに命をかけて取り組んでいる50過ぎのハゲたオッサンに完全に負けているということである。いや、岩上氏はものすごい人だと思う。そのものすごいオッサンでさえ、あの活動に対して3800人の有料会員しか集まってもらえないのだ、今のところ。無名のミュージシャンが自分勝手に作っている音楽がそうそう簡単に有料で支持されるなどと簡単に思っている場合ではない。だが、今すぐに3800人のホールライブを成功させろと要求されているわけではないじゃないか。せいぜい10〜20人ほどの集客を要求されているだけなのである。それができずに何の価値ある音楽だろうか。と、自分自身を叱咤できるミュージシャンだけに、明日はやってくる。そう思う。