Monday, February 11, 2013

フレンド

 友あり遠方より来る。

 一昨日は、高校時代の友人がやって来て、2人で大原の三千院に行った。
京都大原三千院、恋に疲れた女が一人~
ではなくて、仕事に疲れたオッサンが2人~である。楽しかったなあ。

 彼は東京時代のキラキラレコードから徒歩数分のところに住んでいる。それなのに東京時代には20年くらい会わなかった。なんか、きっかけがなかったのだろう。いつでも会えるは、また今度でいいやと同義語である。

 それに較べて、東京から京都は遠い。せっかく関西まで来たのだからついでに会いに行くかとなるのかもしれない。それはそうだ。東京在住の人が「高田馬場にきたからついでに会いに行くか」なんて言ってたら年間何回会いに来ることになるのか。だからみんな来ない。結局年に一度さえも来ない。

 その点、繰り返しになるが京都は遠い。だから別件で来たらついでに会いに行くかとなる。しかも京都には別件となる理由が多い。観光でも仕事でも来る理由に溢れている。どちらがついでなのかは判らないが、いずれであっても、訪ねてくれるのは嬉しいことだ。

 最近はSNSが流行りで、それは人間関係をバーチャルにするとか、だから健全ではないとか、言う人も多い。そういう面もあるだろう。だが、一方で人間関係を密にする効果もあるんだろうと思う。実際に昨日来た友人も、Facebookでこの半年ほどやり取りを続けるようになったのが急速に旧交を温めるきっかけだった。SNSでやり取りをすることで、実際に会う機会が生まれる。もちろんそこまでに至らない関係もたくさんある。しかし、僕の場合は確実にSNSが実際の交流に繋がっていると思えるのだ。

 SNSは単なるきっかけにすぎない。それはリアルの出会いでも同じこと。学校で同じように40人のクラスに放り込まれても、大半の同級生と友達になる人もいれば、無口で誰とも親しくならない人もいる。SNSもそうだ。積極的に発言し、他人の発言にも絡んでいけば知り合いも増えるし、なんの発言もしなければ孤独なままだ。僕は、積極的に発言するぞ。だってその方が楽しいもの。

 何の話だったっけ、ああそうだ、友人が遊びにやってきたということだった。

 こんなブログを読んでいただいている人は、面識のない方が大半だろうけれども、中には面識があって読んでくれている知己もいるだろう。mixiみたいに足跡はつかないし、facebookのイイねやTwitterのお気に入りなんて機能もないし、そもそも読んでることを覚られたくないという人もいるだろう。そういう人は、別に読んでるなんて宣言していただく必要もないけど、まあたまには重い腰を上げて京都にふらりと訪ねてきてもらえればと思う。そして「近くまで来たから」とか「どこかステキなカフェはないかな」とか言ってきてもらえればと思う。そしたら2年足らずの経験からなんとか絞り出してステキなカフェを紹介するだろう。そして万難を排してカフェにお供するだろう。抹茶を飲めるお寺にだって案内するぞ。抹茶のたて方を教えてくれるカフェだって、お喋りするのが憚られるような読書カフェだって案内しちゃうぞ。

 まあそれはともかく、友が訪ねてくるというのはとてもいいものだ(もちろん面識のない方が訪ねてくれるのもいいものだ。そこから親友にだってなれるもの)。京都に来て、わざわざ訪ねてくれるヤツがいるのはとても嬉しい。そいつは本当に友達だなって思えるもの。いや、まだ訪ねてきていない人が友達じゃないって言ってるわけではないのだけれど。