Monday, December 17, 2012

小さな声

 今回の選挙は、いろいろな意味で興奮もしたし、警戒もしたし、失望もした。  僕の住む京都2区からは、民主党逆風の中で前原誠司が当選を果たした。TwitterのTLでは「枝野や前原や野田を当選させる地域のヤツらは何を考えているんだ」という言葉も沢山目にした。そう。僕がその地域のヤツらである。地域のヤツらにもいろいろいる。だが、僕の小さな1票では前原誠司を落選させることは出来なかった。前原誠司が72170票、自民が42017票、共産が24633票、社民が7416票。2位以下を全部足せばかろうじて前原誠司1人の得票を上回る程度という圧勝状況。それでどうすればいいんだ?日頃から街を歩けばそこら中に前原のどアップのポスターが貼られている。ここは前原が将軍さまの独裁国家かと思うくらいの勢いで貼られている。そんな中で、国民の1票なんて小さいなあと無力感を感じさせられた。  自分の選挙区の問題もさることながら、全体の政党の当選者数もとんでもない感じに終わった。選挙前から「自民の圧勝」的な世論調査が繰り返され、それでマッチポンプ的な雰囲気が強調されていったという側面もあるだろう。が、結局は反自民の勢力がまとまれなかったのが敗因だと思う。  思えば、1993年の政権交替以来、政治は結局自民対反自民の構図がずっと続いてきたと言える。最初の政権交替では中選挙区制で勝ち抜いてきた8党派による連立政権だった。それが自民党によるスキャンダル攻撃と、村山富市率いる社会党の離脱によって政権が再び自民に戻ることになった。続く2009年の政権交替は、旧民主党と自由党の合併によって生まれた民主党が大きな反自民の対抗馬として選挙に勝利したのである。その後小沢一郎への司法的な攻撃と、マニフェストと真逆の政策を次々に進めた菅&野田首相への不信感が、民主党に逆風を吹かせ、離党者を続出させてふたたび自民に政権が戻ることになった。  別の党による選挙後の連立という手法と、反自民が1つの党になるという手法とで、とりあえず2度の自民下野は実現した。だがいずれも自民の巧みな攻撃によって、反自民勢力は権力を明け渡す時にはバラバラに崩されてしまう。そこから再び対抗馬になるまでに、実に15年のサイクルが必要だということになる。  そうなると、次のチャンスは2027年だ。その時には小沢一郎も85歳。政治家として第一線で勝負するということは難しいだろう。今回のように少数野党になっても、それはかつての自由党のようなものであって、だからこれで終わったという条件になるとは思わない。だが、復活するのに15年かかったとしたら、それは政治生命としてかなり難しい状況になると言わざるを得ないだろう。  そうなると、もう自民による政治に甘んじるという選択か、もしくは小沢一郎に代わる新たな政権交代実行能力を持った政治家が育つことに賭けるという選択しかなくなってくる。だがそれは両方とも難しい。そもそも自民は今回の選挙でも実質過半数の支持を得ているわけではない。それに甘んじて納得できる国民ばかりのはずはない。  また、小沢一郎は希有な才能を持った政治家であり戦略家である。それと同等以上の政治家の成長は容易ではない。小沢一郎と同等ではダメなのだ。それ以上でなければならない。それが15年で出来ると考える方が能天気だ。一方で自民党は着々と世代交替を行なっている。1期や2期浪人を強いられても生活には困らないという態勢で二世三世という世襲政治家を登場させ、なおかつ小泉進次郎という才のある四世までも登場させている。それに勝つために、政党としても野党集団としても崩された中から新たな才を見いだし育てなければならないのである。これはもう難事業中の難事業と言わざるを得ないだろう。  普通なら、諦めるところだ。でもそれではいけないと思う。じゃあどうするのかという具体的な工程表などはまったくない。次の参院選でどう巻き返すのかさえ五里霧中だ。でも、諦めたりしてはいけない。例え今回の選挙中に巷間噂されていたように国防軍ができ、徴兵制が実施され、戦争に突入したとしても、諦めるなんてことは許されない。原発が次々と再稼働されたところで原発事故が再び起こったとしても、諦めたりしてはいけないのだと思う。  ここまで書いてきて、では何にそんなに対抗すべきなのかという疑問は当然湧く。自民がそんなに悪の権化なのかと。そうではない。55年体制が始まって以降93年の政権交替まで、自民党は下野の心配がないから慢心してきた。政治のプロではあっても、慢心がそこにあるが故に社会が歪んだ。それを監視チェックすることが大切なのだと思っている。そのためには、常に下野の危険性を感じさせる必要があると思うのである。そうでなければ、政治は国民の方を向かない。自分に関係のある業界や官僚や外国を向く。それで善政がされるならまだいいが、そうだとしても、それは民主主義に非ず、単なる殿様による世襲政治である。世襲の支配層によるおこぼれ善政に過ぎない。今の自民のように二世三世が跋扈する政党が政権を長期間占めるならばなおさらだ。  ああ、なんかここまで書いてきて、そんな大きな問題のことまでじゃなくて、もっと卑近な矮小なつまらない部分での失望だったんだと思う。それは、60%を切る投票率だ。4割以上の有権者が、権利など要らないと行動で示しているのである。そんなところに民主主義も何もないだろう。311という未曾有の災害を経て、その後の国の対応の異常さと不公平さを見てきてなお、権利など要らないと投票を棄権しているのだ。選挙制度がどうだとか、マスコミの情報操作とか、二世三世の世襲とか、そんな問題以前の、国民の意識の低さが問題なのだ。民衆の意識が低いなら民主政治もまた低くならざるを得ない。だったら、このまま谷底に真っ逆さま以外に道はないのかもしれないと、そんな感じの失望だったんだと、今は感じている。  じいさんたちによる政党「立ち上がれ日本」は消滅したが、いまこそ立ち上がれ日本人なんだろうと思う。そうでなければ、この国に明るい未来などはない。あるのは、ご主人様によって生かされる奴隷の一生ではないのだろうか。