Thursday, December 13, 2012

風は吹いているか

 作業をしながらCDをたくさん聴いていた。今日はCOVERSも聴いた。RCサクセションの1988年のアルバムだ。

 このアルバムは当時発売中止になったいわくつきのアルバムだ。原発反対を歌っていたから、原発メーカーである東芝の子会社東芝EMIが発売を中止にしたのだ。しかしその後KITTYレコードから発売された。発売が決まらずお蔵入りかと思われていた時期にはファンの間で非公式のテープ(カセット)が出回っていると噂だった。夏の野音のチケットを取るために日本放送のプレイガイド(当時っぽい)に徹夜で並んでいた時も、先頭付近のファンたちはその話で持ち切りだった。

 ま、それはともかく。1988年のこのアルバムをこの時期に聴いた。311以降は反原発の人たちが清志郎がタイマーズ名義で出した曲のいくつかと、このカバーズの数曲を取り上げて自分たちの主張に利用した。僕個人は原発反対だが、だからといってそうやって清志郎の曲を使うことはどうかと思っていた。なんといっても清志郎は故人だ。その使い方が清志郎の意思に沿っているのかどうかわからない。そういう使い方は故人に失礼だ。

 で、今日のカバーズだ。

 1曲目は「明日なき世界」、バリー・マクガイアのEve of Destructionのカバー。「おまえは殺しの出来る年齢/でも選挙権もまだ持たされちゃいねえ」とくる。

 2曲目は「風に吹かれて」、ボブディランのblowin' in the windのカバーである。「どれだけ遠くまで歩けば 大人になれるの?/どれだけ金を払えば 満足できるの?/どれだけミサイルが飛んだら 戦争が終わるの?/その答は風のなかさ 風が知ってるだけさ」だ。

 3曲目は「バラバラ」、レインボウズのBalla Ballaのカバー。「世界中バラバラ 人々はバラバラ/考えがバラバラ やることもバラバラ」

 通して聴いていると、清志郎なりの警告だったような気がする。当時の僕は若くて、というか幼くて、ガキで、世界は平和で、単にRCの曲が聴きたいというだけだった。発売が中止になった理由に社会的な問題があって、そんなのどうでもいいから作った曲は聴かせろよと思っていた。今聴いて、それはまったくバカだったなと思わずにいられない。それは、今の社会の状況がまさにこのカバーズの警告にピッタシだからだ。

 僕は2曲目の「風に吹かれて」の「その答は風のなかさ 風が知ってるだけさ」が妙に頭に残った。この単純な言葉にはいろいろな意味があるだろうし、いろいろな解釈もされている。僕なんかが今さらだが、聴いていて思った。風とは、社会の雰囲気なんじゃないかと。選挙などではよく「風が吹く」といわれる。郵政選挙の時には「小泉旋風」が吹き荒れた。つまり、風とは、国民の意思なんじゃないかと思ったのだ。そう考えると、世の中にあるあらゆる問題は、国民の意思によってしか決まらないし、その意思が、ひとつの方向に向けて強まった時に風は起きる。311以降初めての総選挙で、僕ら国民の意思というのはひとつの風となって吹くのだろうか?そのことが問われるんだろうなあと思ったのだ。

 その直後に「世界中バラバラ 人々はバラバラ」と来るものだから、頭が痛い。その曲の最後の歌詞は「爆弾がバラバラ 身体までバラバラ WOO!バラバラ」である。そう簡単に、理想など現実にはならない。そもそも人々がみんなバラバラのことを考えていては、風など吹かないのである。それが自由というものの実体なのかもしれないし、それによるメリットも、デメリットも同時に存在しているのかもしれない。

 いずれにせよ、もうすぐ選挙だ。正しい方向に風が吹かないと本当にマズいところに来ていると僕は思う。老いも若きも、正しい日本の、そして世界の在り様を真剣に考えて、自分なりの風を吹かせていかなければいけない。