Saturday, May 25, 2013

持てないということ

 土曜の朝から恵文社に来ている。京都市左京区一乗寺にある本屋だ。

 恵文社一乗寺店はユニークな書店として有名で、京都を旅する人もよく訪れる。四条河原町にあるのならついでに寄ればいい。だが一乗寺に来るのは旅行者にとってはけっこうしんどいはず。なのに土日になると人で溢れかえる。旅の文科系が全国から集う。別にここだけでしか買えない本があるわけではない。基本的にはどの書店でも取り寄せ可能な本ばかりだ。だが、その並びは他の書店には無いものがある。だからファンを日本中から呼び寄せる。

 これは、知人の本棚だと思えばいい。誰にも何人かの友人はいるだろう。その人の家に遊びに行ったとして、本棚を見たりすることもある。本棚には人柄が現れる。尊敬出来る本棚もあれば、普通だな以上の感想を持ち得ない本棚もある。そして、恵文社のような本棚を持っている友人がいたら、僕は間違いなく尊敬するだろうし、憧れる。

 紀伊國屋やジュンク堂のようなメガ書店には確かに本がたくさんある。真面目で拡張高い本もある。だが、それは金持ちの本棚だ。何でもあるというだけで、財力は感じるが知性を感じるわけではない。

 コンビニの棚は雑誌しか読まない友人の本棚だ。楽しいけど、憧れない。

 友人の家に遊びに行って、「この中から1冊好きなの持っていっていいよ」と言われたらどうだろうか。2冊はNG。1冊だ。悩むよそれ。どの本をチョイスするのかで自分というものを見抜かれるような気がするからだ。書店に行くというのはそういうことなんじゃないかと思う。無論お金を払ってのことだが、そこにある本から選んで持っていっていいよと言われているのだ。だから悩む。だから嬉しい。ドキドキする。それが書店の楽しみだ。

 出来ることならそんなことを言ってくれる友人の本棚は、コンビニ的なものではなくて、恵文社一乗寺店のような本棚であって欲しい。それはつまり、他の本屋ではなく恵文社に僕がいく理由そのものでもある。

 自分の本棚には好きなものしか並んでいない。だが書店の本棚には知らない世界が並んでいる。本が並んでいるというより、世界が並んでいるのだ。歳を重ね中年にもなり、知った風な顔をして暮らしている自分の思い上がった慢心を殴打してくれるような、知らない世界のオンパレード。お前なんかまだまだなんだぞと。

 だから、知らない本を読みたいと思う。そのことで、少しでも何かを知る自分に昇華していきたい。

 今日の恵文社で見た棚には、宗教のコーナーがあった。その隣では病と生き方のコーナーがあった。総合失調症の人たちが暮らす過疎の町での、病を治らないでくれ的な生き方について書いてある本もあった。面白い。そしてその隣のコーナーには数学と物理のコーナーが。面白い面白い。メガ書店ならきっと別のフロアに置いてある本が分け隔てなく隣のコーナーに置いてある。そういうのが、僕らの知識欲を掻き立ててくれる。

 自分の本棚を作っていくというのは、自分を作ることでもある。いつまでも完成することのない作業だ。もちろん書店の棚と同じ規模の棚を自宅に持つことは出来ない。だから厳選に厳選を重ねる必要がある。ミニチュアながらも、コンビニの雑誌コーナーのような棚ではなくて、恵文社のような本棚を持ちたい。その棚を知人にひけらかして憧れられたいというのではなく、自分が納得出来る自己満足に過ぎない欲求ではあるが、もしも誰かが訪ねてきたら一目置かれるような本棚を目指したい。知人が訪ねることはなくとも、息子はその本棚の前で成長していくだろうから、息子もそういう棚に馴染むことで育っていくような、物言わぬ教師のような、そんな棚を作りたいと思う。

 本棚を作るというのは編集作業に似ている。字数に限りがあるから不要な文字を削っていく。そこには人格がそのまま現れる。本棚にも限りがあって、無限に持つことは出来ないから選ばなければならない。1冊買えば1冊棚から退場してもらう。そのチョイスが編集だ。それは本棚の編集であり、同時に自分の人格を編集することでもあるだろう。

 電子書籍は確かに便利だろうけれど、お金さえあれば何冊でもそのクラウド空間に押し込めることが出来る。重さもなければかさばりもしない。それは編集ではない。リアルの本棚を前にして、それ以上は持てないという制限が、自分を鍛えてくれるような気がする。だから僕は紙の本が好きだ。重いしかさばる。不便だが、だからいいのだ。

 そうして今日も僕は吸い寄せられるように恵文社一乗寺店にやってきた。普段は会社帰りに10数分程度の立ち寄りしか出来ない。しかし今日は朝から奥さんと息子が用事で出かけている。僕は2人を目的地に送っていき、迎えにいくまでの間をここで過ごせる。いつもとは違う時間の流れで恵文社の本棚と向かい合った。もちろん全部買うことは出来ない。どの本が自分の本棚に並ぶのだろうかとワクワクしながら、本をめくっては元の棚にスーッと戻す。そんな作業を楽しみながら、飽きることなく繰り返している。



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