Sunday, May 12, 2013

相方

 最近、というか結構以前から奥さんや旦那さんのことを相方と呼ぶのをよく目にする。最初にそれを見た時は漫才コンビかと思わず突っ込んだ。そのくらい僕には違和感があったのだ。

 だが結婚してからはそう呼び合っている人の気持ちもなんとなく解るようになった。他人に対して配偶者のことを嫁とか妻というのも横柄な気がするし、それを聴いている配偶者がいい気はしなさそうに思ったし。もちろん正式には妻というのが正しそうなのも知っている。社外の人に対しては平社員であっても社長のことを言うのに「○○さん」などの言葉を付けずに「田中(佐藤でも鈴木でもよし)は席を外しております」などと呼び捨てにするのが礼儀であるように。でも、だからといって他人を立てるために配偶者を呼び捨てにする気など毛頭ない。なぜなら他人の気持ちよりも配偶者の気持ちの方が圧倒的に大切だからだ。

 本当に昔の人なら、名前を呼ぶことさえなく、「おい」とか「ちょっと」という声でしか呼びかけなかったと聴く。その気持ちもすごくよくわかる。でもさすがに今は平成だ。イクメンも当たり前の時代だ。配偶者を「おい」よばわりしていたのでは結婚生活は(大抵の場合)破綻するよ。

 というわけで、僕は配偶者のことをブログやTwitterなどでは「奥さん」と言っている(本人に直接呼びかける時はもっと別の呼び方があるのだが、それはプライベートなものであって、互いの両親さえも知りません)。でもまあ奥さんと言っているのもちょっと気恥ずかしい感じも無いわけではなく、結局正解はないんだなあと思う。

 そんな奥さんも、最近はお母さんだ。当然僕もお父さん。子供が出来るというのは人と人との関係性も変えてしまう。もちろん僕にとっては奥さんだが、家の中、特に子供の前ではお母さんと呼ぶ。僕ら夫婦の父や母はすでにおじいちゃんとおばあちゃんだ。僕らがそう呼んだら関係は悪化するだろうが、孫の前ではすっかりおじいちゃんとおばあちゃん。ご本人たちもその呼称を完全に受入れている。

 そんなこんなで今日は母の日。僕は息子と二人で散歩に出かけ、お母さんが純粋な自分に戻れる時間を作ってみた。その間に本を読もうと昼寝をしようと自由。母の日に、母じゃない自分に戻るというのもおかしな話だが、世の中のお母さんは毎日育児に明け暮れているので、自分に戻れる時間が一番嬉しいんじゃないかなと思う。そんな男2人の小旅行も約4時間で終了。帰りがけに近所の花屋でカーネーションを1輪だけ買って帰った。当然それは僕からではなく息子からのプレゼントだ。だって彼女は僕にはお母さんではなく奥さん(相方でも、妻でも、嫁さんでも、なんでもいい)なのだから。その代金380円を息子のおこずかいからいつ天引きすればいいのか、などとPCの前で今考えたりしている。