Tuesday, May 07, 2013

アンネ・フランク

 先日本屋で絵本の「アンネ・フランク」を見た。



知ってはいるものの、もう内容についてはかなりおぼろげだったアンネの日記。それを絵本にしたもの。全体的に無機質なトーンの絵柄で、えも言われぬ寂しい雰囲気の当時をよく表していると感じた。

 当時のドイツは世界的な不況のさなかにあり、ヒトラー率いるナチ党が台頭し、反ユダヤ政策を推し進めた。フランク家はオランダに移住するもののナチスドイツがオランダに侵攻し、やがて隠れ家での生活が始まる。隠遁生活は2年にも及ぶが、ついに密告によって発見されて収容所に送られ病死する。

 もう誰もが知っている話だ。この話を聞いてナチスドイツは酷いヤツらだと思う。どんなに理屈が正しそうに見えようとも、特定の民族だからということだけで権利を奪い、命を奪うことが正当化されるわけがない。だが実際に起きたことだし、疑問を持っていた人であっても抵抗できない雰囲気というものに社会が包まれていたのだろう。

 だが、当時のドイツ国民のことを非難できるのだろうか。今日本では中国や韓国との関係が悪化し、いろいろなところでバッシングが起きている。そこにも理由はあるのだ。竹島や尖閣諸島という領土にまつわる問題と、そこから派生する罵倒合戦。だが、どんなに理由があろうとも、特定の民族や人種に生まれたからということだけで他人に死を要求などできるものか。普通はそうだ。戦後の民主教育でそういうことはダメだと散々教わってきたし、その価値観は誰しも共有出来るものだと思っていた。しかし、最近のニュースを見る限りそれは間違いだったということに気付かされて愕然とする。

 ヒトラーの台頭も、不景気の中での経済対策から始まっている。追いつめられれば人はいろいろな感性を自ら死滅させてしまえるものだ。経済さえ立て直してくれるなら哲学なんてもうどうでもいいよと。窮すれば鈍すである。平素豊かな時ならばそんなことは有り得ないと思うし、今でも大多数の人はそこまで追いつめられてはいないだろうと思う、いや思いたい。だが、実際年間3万人もの人が自殺する。その多くは経済の行き詰まりだ。鬱からの自殺も当然あるが、それとて経済的に満たされていたらそこまで追いつめられなかったケースも多かろう。今の日本はどうなのか。経済的にどうなのか。そして人々の人権意識はどうなのか。というより、愛はどうなのか。少なくともヘイトスピーチが公然と行なわれるような事態を目の当たりにしては、かなりの危機感を覚えずにはいられない。いられないのだ。

 こういうときだからこそ、このアンネフランクに偶然出くわしたのは有意義だったと思う。そうなってからではもう遅いのだ。今自分に出来ることは一体なんなんだろうと考えさせられた。