Friday, December 12, 2008

政治も経済も面白すぎです

 朝刊を読んでいたらシーリング外しに躍起になる厚労省と押さえたい財務省のせめぎ合いとか書いてあって、政治家は何をやってるんだと思うと、そういった役所を代表するような政治家とかがかなり暗躍。記事のトピックとしてはタバコ税についてなのだが、税調の入り口に「増税反対」を訴えるタバコ農家の人たちと、「増税賛成」を訴える健康を気にする団体の人たちが双方プラカードを抱えてセンセイたちが入場するのを待っている写真が。いやあそれぞれの立場だったら切実な問題だというのも判るが、どうもそれぞれが言っている主張の論点が微妙にずれていて、これが大所高所からの論議を双方にしろといってもそれは無理な話だなあと思うし、だからこそそういうことの調整を政治家がやらなきゃいけないはず。しかしセンセイたちもそれぞれの団体の代弁者になっていて、というよりもそういう団体の人たちを利用して主張の正当性を証明するための材料にしているだけで、結局は役所の利益を守るために躍起になっているとしか思えないのが悲しいところだ。
 
 夕方のニュースではアメリカ車会社のビッグ3への支援が否決されたという話が。それにつれて円も急騰してしまい、ついには89円台に突入したということ。でも、これ原因は何かというと車業界の労働組合が支援を受けるために会社が示した改革案を否定したということである。要するにリストラ案だから労働組合が首を縦に振れないのはよく判る。だけれども、それでビッグ3が倒産してしまったら元も子もないってことが判らないんだろうか? もちろん僕がここで知り得る以上の膨大な情報とか利害関係があるわけだから、簡単に決めつけるのもどうかとは思うが、でも話をシンプルにして考えればわかるはずのことが、細かな立場の違いから起こる意図のズレとパワーバランスが、こんな目もあてられないような結果にどんどん進んでいくということが、ちょっとだけ面白い。
 
 しかしニュースはこういうセンセーショナルなことをセンセーショナルにかきたてるのが本当に好きなんだなあと思う。というのも、円が高くなって困る人もいるけれども、喜ぶ人もいるのである。今海外に行こうという人は値段が安くなって万々歳だし、輸入業者はホクホクじゃないか? そういうのを「些末なこと」とか「海外に行けるようなのは裕福な人なんだから、本当に困っている人ではない」というのは簡単だが、一方で年末年始に海外に行く人は少なくなっているという現象を捉えて「だから不況は深刻なんだ」とかいうニュースを作るのもマスコミの人たちだということを、僕たちは忘れてはいけないように思う。今日も外を歩いているとガソリンスタンドの値段表示はいつのまにかハイオクでも130円とかで、ついこの間まで平成のオイルショックとか言っていたのがウソのようだ。あの煽りに驚いて車を手放した人はぜひ「煽りすぎたことの責任を取れ」とか言って訴えて欲しいとさえ思ったりするよ。
 
 経済って所詮お金の奪い合いであって、利下げとか普通に起こったりするときにはマスコミも大して騒がないけれど、それによって昔は利子で食っていけた人たちは生活設計を根本から見直す必要に迫られたのだし、バブルで地価が上がりに上がった頃、直後にバブル崩壊で多くの不動産が不良資産化して銀行も不動産業者も苦しんだとか言うけれど、その裏では本来そんな値段ではなかった土地を10倍以上の値段で売って現金を手にした人たちもたくさんいるわけで、そんな人たちは「儲かってスミマセン」とかは決して言わない。また、銀行が不良資産を抱えて大変だとか言っても、その直前では土地を転がして莫大な利益を得ていたのである。たまたま引き上げ時を間違って苦しんだだけで、そんなのは株式投資で失敗した人たちと基本的には変わらない。いやいや、銀行は護送船団方式で政府の言いなりに動いてきただけだし、銀行自身の考えで物事を進めたりは出来なかったんだよとか、言う人もいるかもしれない。しかし、そういう護送船団方式の中で保護されていて、事なかれ主義の中で動いてきただけであって、不良資産とかの損もして、保護主義の中で楽をしてきたという得もしているのである。それに本当に護送船団方式が嫌だったのなら、そんな仕事は辞めてしまってたらよかったのだ。
 
 本当は額に汗して日々の稼ぎを得るというのが基本なのだが、今や社会も複雑になって、そういう単純な話ではすまなくなっているのもわかる。でもやはりそこに原点はあるということを理解する必要があると思う。人々がそれぞれ頑張って自分に出来る創造や製造をする。販売も含めてサービス活動も価値の創造であることには変わりない。なにも工場で働くだけが製造ではないのである。そういうクリエイトを1人1人がすることによって、日本の全体の力は大きく強くなっていくはずだと僕は思うし、思いたかったりするのである。