Tuesday, December 09, 2008

政治乱気流

 昼食の定食屋で見た読売新聞。崩壊寸前の自民党の模様をいろいろと書いてあった。もううんざりな感じがする。渡辺さんはまだしも、中川ー小池グループはいったい何なんだろうか。小池さん自民を出てもう行くところはないよといいたい。それぞれの行動や発言にはそれぞれに言い分はあるだろう。だが、総大将が潰れるならば共に潰れようぞ。そんな気持ちの人でなければ何も信じられない。しかもそこに書いてある発言で笑ったというかあきれたというか、「勝負は選挙後だ、選挙前に動いても意味がない」みたいなことを誰かが言っていたそうな。結果的にそうなったというのなら仕方のない部分もあろう。だが今の時点で選挙のあとに自民党を出るとかでないとか本気で言っているとしたら、選挙も予算も先送りした麻生さんよりも酷い。選挙で信を問うのから逃げたのなら弱虫のレッテルで済むが、選挙が終わってから国民も予想しないような動きで立場を決めていこうというのでは、信を問うどころか、信を問う機会そのものを欺瞞で奪おうという発想であり、これは許してはいかんなという気持ちになる。
 
 だが、僕が思いを馳せるのは国民新党の人たちのことだ。彼らはいってみれば泡沫である、政党としては。しかしこういう乱の時代には小政党がキャスティングボードを握るということはここ数年の政治を見ていると常識化している。でも今現在の政治情勢からすると、国民新党はキャスティングボードどころか政治再編の核にさえ成りうる立場にあると言っても良いだろう。自民党を飛び出す人たちは早晩出てくる。しかしかつて小沢一郎が自民党を飛び出して新党を立ち上げたときと違い、今飛び出す人たちに付いてくるイメージは泥船から逃げ出すネズミのようなものだ。どれだけの美辞麗句を並べたところで頼もしいイメージは出てきやしない。だとすると、それをなにかが受けて、そこが新たに力を持つための駒となるような演出をしていかなければ難しいだろう。いや、渡辺、中川、小池といった面々は、そうはいってもスター政治家であって、彼らが看板になることはなくとも選挙で落ちるということは、たとえ無所属となっても考えにくいことである。だが、その他の無名政治家の数を頼まなければ、如何にスター政治家といえ今後力を持っていくことは出来ない。だから数が絶対的に必要であり、そのためには無名政治家も拾えるような拠り所が必要になる。それがなんなのか。民主党か?それはないだろう。今の時点でそういった元自民の人を迎え入れようという声を上げるとその民主党議員が危なくなる。だとしたら、無所属状態の平沢氏が新党を立ち上げるか、それとも国民新党がその受け皿となるかということも有力な選択肢になる可能性はある。
 
 だが、元は同じ自民というといっても、亀井さんたちがいた自民党を代表するのが麻生、古賀、森といったラインであって、そもそも小泉改革を強力に後押ししてきた中川ー小池といったラインではない。というか、むしろそこは憎んでも憎みきれないという存在なのである。
 
 そして当然、この数年民主党と合併寸前までいった経緯などもある国民新党が、すでに次回の選挙協力も具体的に進めているという中でいきなり民主に反旗を掲げるというのも考えにくいことである。もちろん亀井さんも綿貫さんも選挙はかなり強い人なのであり、どうなろうと自分だけが勝ち残り、そして訪れる選挙後の再編を、国民新党の人としてデーンと待っていればいいのだ。そこでもっとも「乗れる」案とかグループに合流したり、協力したりすればいいのだろう。そういう意味では、自民党脱出寸前でありながらなお「勝負は選挙後」とか言っている人たちとはまったく立場も思想も違うといっていいのかもしれない。
 
 まあ、そんなこんなで次の選挙はドラマチックで波乱に満ちたといっても良いのかもしれない。民主が単独で300を超えるような大勝をしてしまえば、他の勢力が入り込んでいく余地など無くなってくるし、本当は政治のスピードという点ではもっとも望ましいことではあると思う。しかしながら、実際はそこまでの大勝をすることはないだろうし、だとしたらそこでうごめく魑魅魍魎がどんな策を巡らしたとしてもおかしくはないし、そんな展開にドキドキはするかもしれないが、きっとワクワクなんてしないだろうと思う。