Wednesday, December 24, 2008

気持ち悪いものたち

 M1ってなんだろう。とにかく気持ち悪くて仕様がないのだ。NON STYLE、面白いよ。でもそれってどういうことなんだろうという疑問が拭い去れない。
 
 ぶっちゃけて言えば、型に自らはまっているということの哀しさなのだろう。誰かに評価されるということは素晴らしい。だが、評価されるための偏向というか、自分を合わせてしまっているというか、軍門に自ら下ってしまっているというか、そういうものがどれだけ面白かろうと、面白いという評価とは別に、気持ち悪いという感情がどうしても付きまとってしまうのだと思う。
 
 これはミスコンなんかにも感じることなのだが、ミスコンという場があって、そこににこやかに登場しようとする人たち。もしこれが62億の人の顔がネットで公開されていて、それを62億の人が強制的に見せられて、拒否する自由なくもっとも美しい女性に投票した結果とかなら別にいい(そんなことは出来るわけもないけれど)のだが、ミスコンというものがあって、それに「私は美しいのよ」って思ってる女性が自ら応募して、それでその主催団体関係者が選ぶという作業の結果なのである。これも気持ちが悪い。まず「私は美しい」と思っているということを「応募する」という形で表明しているところが気持ち悪い。そして「応募する」ということは、その関係者たちの審美眼を最初から信じますよと思っているということも気持ち悪い。
 
 しかしここ数日のテレビを見ているとM1グランプリのNON STYLEをとにかく持ち上げ、ミスコングランプリの人をとにかく持ち上げ、それで視聴者も喜んでいるとでも言わんばかりのメディアになっていて、それも気持ち悪い。まあそういう「誰かの」評価を受けたということでしか価値判断が出来ないメディアなのだろうし、そして我々国民なのだろうということが露呈しているようで、それが限界なのだろうという、一種あきらめにも似た気持ち悪さが漂うのだ。
 
 アルバムが全曲タイアップとかデビュー3ヶ月で紅白が決まったとかいわれている女性ボーカルバンドも、結局「タイアップ」「紅白」という権威付けによってその価値を評価させようという感じがするし、ド迫力のCM攻勢で世の中に浸透させようとしているわけだが、そういうのに普通に反応してチャートとかに入ってくるのを見ると、「なんでそんなに踊らされるんだろう、もっと自主的な判断とかないんだろうか」とか思って、やはり気持ち悪い感じになってきてしまうのである。
 
 
 まあ、それは誰にも注目されていないミュージシャンたちを一生懸命リリースしては赤字になってしまうレーベルを運営している僕の、世を拗ねた遠吠えと思ってもらっても全然構いません。でも、僕は思うのだ。無名のミュージシャンたちも口を開けば「夏フェスに出たい」と言ったりして、それも権威に擦り寄る、一種気持ち悪いことなんじゃないかと。だから積極的にそういうフェスなんかに対するアプローチなんかしたいとは思わないし、その前にもっとやるべきことがあるだろうと、彼らには言いたくて仕方がない。
 
 
 余談になるけれど、YouTubeでM1の今年のネタを見ようと思ったら、オンエア翌日の朝方にはもうアップされていた。みんなどうして自分の得にもならないことを一生懸命に作業しているんだろうと、それもちょっと気持ち悪かった。で、このブログを書こうと思ってもう一度見てみようと思ったら、朝日放送とかいろいろな関係者が申立をしていて削除されていた。オンエア翌日の昼過ぎのことだよ。それがどのような死活問題になるのかは知りませんが、関係者のみなさんもご苦労様といいたいし、やっぱり気持ち悪いなと思った。