Tuesday, January 13, 2009

西新宿界隈雑感

 西新宿に行く。いろいろと訪れたいところもある。
 
 西新宿の安床屋は混んでいた。3連休の最終日の午後、疲れた顔のオッサンやニーサンたちが自分の順番を待っていた。僕もチケットを買って列の最後尾に席を占める。席で持参の本を読む。ロシア作家の現代文学。待つこと約25分。けっこうなページ数を読んだぞ。いよいよ自分の番が来たかと思い本をカバンにしまい込む。だが前の客の散髪を済ませた理容師はなぜか着替えて店の外へ。休憩の時間らしい。てっきり自分の番だと思っていたのにしばらく待たされることになる。どのくらい待つことになるのだろうか? もう一度本を出した方がいいのだろうか。手持ち無沙汰で腕組みなどする。僕の後ろにももう列が出来ている。やはりオッサンとニーサンたち。一様に腕組みをしている。待つことが判っているだろうに、本とか持ってこなかったのだろうか。いや別にロシア文学を読めとかいっている訳じゃなくて、マンガでも雑誌でも、フリーペーパーだっていいし、DSとかのゲーム機でもいいじゃないか。ただこうして腕組みをして自分の番が来るのを待つだけの時間。こんな退屈な時間をただ過ごすことを甘受しているのだろうか。それとも本を読むとかの時間の使い方を知らないのだろうか。彼らの人生のどのくらいの時間が、こうやって何もすることなくただ待つだけに費やされているのだろうか。その時間をかけて待った先に、死以外の一体なにが待っているというのだろうか?
 
 散髪をしてサッパリしたが、どうも短すぎるような気がしてちょっと凹む。でも気を取り直して新宿タワーへ。既に書いたように俺聴きをする。見知らぬ洋楽と、見知らぬ邦楽インディーズ。やはり新宿タワーは凄いな。いろいろとある。文化と触れ合うというのは、特に知らないものを知るというのはとてもワクワクすることだ。往々にして日々の忙しさにかまけてこういうところから遠ざかったりするものだが、やはりこまめに来て、いろいろなものを見たり聴いたりしたいと思う。
 
 南口からぐるっと回って西口へ。いつもの電気屋ではなくて西口に出来たヘンな建物に向かう。ブックファーストの新しい店舗がオープンしているそうな。前々から行きたかったけど、今回ようやく時間が出来た。本屋って基本的に同じものを置いているはずだし、どの店だって他の店と同じものを仕入れることは出来るはずだ。でもやはりどの店も違っていて、それぞれの個性があって面白い。ブックファースト新宿店はそのヘンな建物の地下にある。背の高いシェルフが整然とはいえない形で設置されている雑誌コーナーで混乱し、今度は図書館のように区割りされた文庫本コーナーで呆然とする。こんなに本ってあるんだなとか思うし、でもきっとこれも出版される本のごく一部なのだろう。amazonの倉庫はもっと凄いことになっているはずだし、国立国会図書館はさらにおかしなことになっているはずだ。でももうブックファースト新宿店で十分に膨大で、全部を見るなんてとても無理。眺めるだけなら大好きな洋書コーナーに行こうとして、店内地図を何度も見るが辿り着けず。よくよく確認して、それは一度店の外に出て行かなければいけないということに気が付く。洋書コーナー、たいした在庫ではない。紀ノ国屋新宿高島屋店の方が断然充実している。ちょっとガッカリしていたところに児童書コーナーがあって、ここは在庫はともかく展示の仕方とかがとても面白かった。ぬいぐるみのようなグッズが並んでいて楽しい。これから絵本とか買う必要が出てきたときはここだな。子供も西新宿の雑多な雰囲気を嗅ぎとってくれるだろうか。
 
 小滝橋通りを通って北へ。一路自宅へと向かう。職安通りを超えるとき、道が広くなっているのを感じた。数年前まではここは超細くて、拡幅工事がずっと続いていて、いろいろな建物が立ち退きしていて、全部立ち退くまでは駐車場とかになっていたものだが、最後まで立ち退こうとしなかった一角があった。そこの象徴が、スナック巨泉だ。スナックかどうか、定食屋だったかもしれない。当然入ったことなどなく、一度自治体が拡幅道路用地と指定したらリフォームも含めて建築許可なんて下ろさないし、反対するならただ朽ち果てていくのをじっと待つ以外に道はない。巨泉の人たちは待ち疲れたのだろうか? それとも本当に朽ち果ててしまったのだろうか? いずれにしてももう昨年から巨泉の姿はそこにはなく、でもかつて巨泉があったところが工事中である限り、僕らの記憶には巨泉が残る。でも今回、そこに工事中の雰囲気はまるでなく、北新宿から中野坂上までの広い道がズドーンと通っていた。その新しい雰囲気の向こうに旧い記憶はかき消されていってしまう。これがノスタルジーというものなのだろうか。ただそこの通りを毎月1度以上8年間も通い詰めていただけの僕ですらそんな感慨を持つのだから、住んでいた人たちにとってはなおさらだろう。朽ち果ててしまった住民などは、もう記憶しか頼る術はないのだ。