Monday, January 12, 2009

だから?

 報道2001という番組がある。フジテレビの報道番組なのだが、ここに黒岩さんという人が出ている。以前は竹村健一がメイン司会だったのだが、黒岩さんが司会の座を占めるようになり、竹村健一はレギュラーコメンテイターという立場に追いやられた。まあ、それはいい。どこの世界にも世代交代とかはある。ニュースステーションも報道ステーションになって久米宏は古舘伊知郎に代わった。死ぬまで代われなかったニュース23の筑紫さんなどはある意味悲劇だと思うくらいだ。
 
 しかし、交代はある程度レベルが同じ人でなければダメのような気がする。昨年4月の番組リニューアルで竹村健一はようやく番組レギュラーの役目を終えた。黒岩氏はメイン司会を須田アナに譲り、かつて竹村健一がやっていたレギュラーコメンテイターになった。この番組では竹村健一の頃から番組終了間際に1〜2分程度の時間をもらい、1ネタ自由に話すのが恒例になっているのだが、黒岩氏も「黒岩の手帳」というコーナーを持っている。昨日の放送でのこのコーナーを見て、ああ、この人にずっと感じていた違和感はこういうことだったのだなと思った。それはこういうネタだったのである。
 
 「新幹線の中で急患が出て、ドクターコールに応じて機敏に対処したドクターのことを先日このコーナーで紹介したんですけれど、それを見て偶然その新幹線に乗り合わせていた女性からお手紙をいただいた。『今の医療現場は何かあったときに叩かれることが当たり前で心地よい言葉を聞くことは殆どありません。そんな中、人道的な行為を当たり前とせず、心に留めていただいたことに感謝いたします。』緊急対応に応えるというドクターはアンケートによると約4割ということなのですが、この数字を増やすことが出来るのか。そのためにはこういう人道的行為に対して私達が感謝の気持ちを伝える、これが一番大切なんではないでしょうか」
 
 だから? で、どうしろと? 要約すると「オレは新幹線の中で見たことをテレビで伝えたぞ、それに対して感謝の手紙をもらったぞ」ということになるかと思う。感謝の気持ちを伝えるって、誰が誰に対して? 市井の人が周囲の医者に対してということか? そんなの、普通の人は世間話出来る関係の医者を知らないだろうし、もし知っていたとして、その人は別に緊急対応した人ではないので、「エライ医者がいるもんだ、おまえはどうなの?」という話は単なるプレッシャーか、場合によっては嫌味にしかならない。つまり、感謝の気持ちを伝えるのはメディアで発言できる人ということになるし、しかも自由に話を出来る時間を数分でも持っている人ということになるだろう。要するに自己礼賛にこそなれ、視聴者にとってはまったく意味のないネタでしかなかった。もし黒岩氏がそういうことを心に刻んだのならば、同じようなネタ、エライ医者を讃えられるようなネタを探して、それをこのコーナーで紹介するということをすべきだったのだろうが、そうではなくて、「オレは褒められたよ」ということを自慢げに紹介しただけだったのだ。
 
 黒岩氏はそれが自分の仕事だと思っているのだろうが、やたらと番組を仕切りたがる。だがそれはゲストの話の腰を折り、流れを奪い、結果として見ている人の興味を削ぐことになってしまう。もちろんゲストだって自分のいいたいことだけをワアワア言っているだけのことが多いから、そういうのを阻止することも必要なのだが、彼の仕切りはそうではない。彼が思っているある種の結論をゲストの口から言わせたいというだけのことであり、ゲストが彼の意図する結論を言わなそうだと、強引に「そうじゃないですか?」と聞き直し、それでもそうだと言わないと流れを奪って他のゲストに振ったりするだけなのだ。そういうやり方は基本的に良くないと思うのだが、まあ田原総一朗なども基本的にはそういうやり方だし、百歩譲ってそういうやり方もあるのだと仮定しよう。でもその場合は、仕切る人が導こうとするある種の結論が、ある程度引き出すべき意味のあるものでなければならない。だが、黒岩氏の目指す結論は、要するに「自分は何でも知っている、エラいんだ」ということでしかないのだろう。なにかそれを象徴するような昨日の「黒岩の手帳」だった。芸能人相手のゴシップ報道だったらそれでもいいが、政治経済を論じる番組でそんなことをやられても困るというのが正直な感想だ。でも、もしかすると今のテレビに出てくる政治家たちというのは、ゴシップに曝される芸能人と同じ程度の能力とか影響力でしかなくなっているのかもしれない。
 
 竹村健一の一言を聞きたくてずっと見ていた報道2001をビデオで録って見ていて、そのまま惰性で予約録画を続けていたが、もう予約を外すことにした。見るだけ無駄だと思ったからだ。