Friday, January 16, 2009

価格設定

 我が家は日経新聞を取っている。というか、奥さんが取っているのだが、それを僕も読ませてもらっているというのが正しい。この文字面からは多少分け与えてもらっているというような悲壮感も漂うかもしれないが、そんな感じはまったくなく、朝起きて真っ先に玄関に向かい、誰よりも早くドーンと構えて読んでいるのだ。
 
 日経新聞は面白い。昼食でよく行く会社近所の中華屋さんではもっぱら朝日新聞を読んでいるが、書いてある内容がまったく違う。まあ経済新聞だから当然ではある。時々読むというのなら、朝日の方が圧倒的に面白い。でも継続的に読んでいると、日経新聞の記事も身体に滲透してくるのか、それぞれの記事の関連性が見えてくるようで、面白さも増してくる。
 
 だが、最近の記事はやはりダメダメな不況話ばかりで多少気が滅入る。今朝も減益に転じるとかのニュースが目白押しだ。でも最後のページのコラムにちょっと面白い記事があった。海外文学の翻訳本が売れないのは価格設定が高すぎるからじゃないかという内容の文章だった。それによると海外文学で売れているのはその殆どが過去の名作の新翻訳だったり、そうでなければハリーポッターだという。確かに翻訳物の価格は高い。2000円とか普通にする。日本の文学新作は1000円程度のものもあるし、それと較べると少々高いような気もするのは当然だ。
 
 これに対して、映画は1800円するし、CDは3000円とかする。どちらも楽しめるのはせいぜい1〜2時間なんだし、1週間くらい楽しめる本の2000円はそんなに高くないだろうということも理屈としては言えなくもない。だが、値段というのはお客にとっては相場感であって、本当にその原材料がいくらくらいなのかということとは関係なく、このくらいで手に入るんじゃないかという感覚が「手頃」とか「高い」という判断を導くのである。だから翻訳文学を安く買いたいという人は文庫本を待つだろうし、実際ミステリーなどでは最初から文庫というケースも少なくない。ハードカバーではペイしないと思えば文庫からしか出版できないのだろうし、逆にハードカバーでも稼げると思えばいきなり文庫にはしないだろう。出版社もバカじゃないし、2000円の本でもいけると思うから、2000円にしているのだろう。要するにそういう価格帯の本には「価値」があると思われているのだ。
 
 それに対してコラムニストが「価格が高いよ」と言うのは勝手だ。しかしどんな価格設定にしても高いと言う人は言うし、それでも買う人は買う。問題はそのバランスと損益の問題であり、今のところ、なんとかプラスに展開できているということなのだろう。誰かから「高いよ」と言われて値下げをしなければということではない。もっと言えば、これは生鮮産品のような類似品代替可能な商品ではないのである。やはり今日の日経新聞には4月にもパンなどが値下げという記事があったけれども、政府の小麦売り渡し価格が値下げされることが確実で、それを受けてパンなどの値段も下がるのは確実だということらしい。これは、A社のパンが高ければB社のパンを買うということが出来るから、やはりA社も下げたらどうだいという意見が正しくなるわけだが、一方でC社のパンはスーパープレミアムパンとして味が全然違うスペシャルなもの、しかも1日に製造できるのはごく僅かということになってくると、値段がA社の2倍したって多くの人が争ってでも買おうとするし、そうなると、勝負のポイントは価格だけではないということになってくる。そう、人が何かを購買しようというとき、価格は決して無視できない重要なファクターではあるけれども、それだけが唯一絶対の要因ではないということを忘れてはならないし、書籍のような文化に属するものの場合、そもそも内容が違うわけだから、値段なんて本来要素としては低いポジションであるはずなのだ。
 
 コラムの内容にもあるように、ハリポタは売れるのだ。映画化での話題ももう落ち着いているのに、やはり本は売れる。読んだことはないが、はまっている人からすればこんなに面白くて次が待ち遠しい本はないらしい。蟹工船だって何故か今売れる。不況だから売れるのだというが、誰かが話題作りをしなければ売れるはずはない。カラマーゾフも売れたが、これにしても別に新訳だから売れたというだけではない。書店での展開方法、カバーのデザインも含めて、売れるべき仕掛けをちゃんとやってのことである。新潮クレストブックなども作品チョイスの面白さとデザインの統一で、シリーズとして興味深いものに仕上がっているし、そういう努力を無視して、「高いから売れない」という人には「じゃあ、安くすれば売れるのか?」と反論したくなる。
 
 問題は、そこにそういう面白いものがあるんだということを知らせることが出来ていないということなのだろうと思う。本の値段が学生には高いというが、じゃあみんな貧困にあえいでいるかというと、合コンでは居酒屋で数千円払うし、iPodなんてみんな持っているし、ノートパソコンだって必携だ。携帯もまだ使えるのに平気で新機種に換えたりする。高い本だって生協で買えば割引になるのが普通だし、コンピュータゲームなんて、最低でも3500円くらいはするし、プレステ用のゲームだと6000円を超えるようなものだって決して珍しくない。それでも売れるものは売れる。
 
 それに、そもそも本を読まない若者が増えているのだ。これは教育の問題もあるだろう。「本を読む=学問=難しいこと」みたいな構図が出来ているのではないだろうか? 本を読むというのは本来面白いことなのだ。そして海外文学で日本に来るようなものはどれもそれなりの面白さを持っているレベルにあるといえる。僕はそれを知らずにいるのは勿体ないと思う。もちろん、それを含めてすべてのエンターテイメントを体感することなんて短い人生の中では不可能なことだが、そんな中で自分なりのチョイスをして、ある時は期待はずれだったとガッカリすることもあるだろうが、こんなに面白い世界があったんだろうかと興奮するひとときを過ごすことで、人生が豊かになったり、自分の人格を形成する一助になったりすることを、もっと大人は子供に教えたりしたほうがいいと思うし、そもそも大人自身も理解した方がいいと思うのだ。
 
 まあそのために入り口としての低価格ということがあるのかもしれない。そういう意味ではコラムニスト氏の意見にも肯く点はあるが、価格設定論というのはその他の「ダメな点」を覆い隠すために問題を矮小化するために用いられることが多いので、僕らは気をつけなければいけないなと思うのである。
 
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 僕がこれまで読んで、面白かったなあと思う海外文学作品を3つ紹介。

 ジュンパ・ラヒリの「その名にちなんで」。インド系女流作家の作品。アメリカに移住して生きていく人々やその子供たち(2世)の家族の物語。


 大好きな作家ポール・オースターの代表作「ムーンパレス」。絶望した主人公が放浪する中で展開される青春小説。


 現代サスペンス小説の大家トム・クランシーの作品「容赦なく」。「今そこにある危機」など映画化された"ジャック・ライアン"シリーズが有名だが、これはサブキャラに焦点を当てた作品。だがクランシーの最高傑作との評価も多い。
 
 
 気温も下がって家を出たくない昨今、読書に耽るのもいいものです。そんな時間があったらですけどね。