Tuesday, April 14, 2009

嫌われるものの功罪〜『スティーブ・ジョブス 神の交渉力』


 文芸書ばかり読んでいたので、ちょっと離れてみたくなった。新書というのは読みやすいように出来ているなと思った。
 
 スティーブ・ジョブスはいうまでもなくApple社のCEOだ。このCEOというのが何の略なのかもよく判っていないし、もしかしたらジョブス氏はCEOじゃないかもしれない。肩書きがどうであれ、ミスターAppleであることは間違いない。それは長嶋茂雄がミスタージャイアンツである以上の確実さだ。なぜなら、ジャイアンツには他にもスターは沢山いる。王貞治はミスターとは呼ばれないが、ミスターに負けず劣らずの大スターだ。だが、Appleにはジョブス以外のスターはいない。
 
 そのジョブスが生み出す製品に僕はこの18年ほど魅せられ続けてきた。その間にジョブスがAppleを離れた時期もあるし、だからといってその頃にNEXTのコンピュータを買ったりしたわけではない。だが、やはり僕らはスカリーやアメリオのPCを買ったのではない。例えそうだとしても、僕らはやはりジョブスのMacを買っていたのだと思う。それは、コンピュータというプロダクトではない。未来というビジョンそのものだったのだ。
 
 だから、僕はハッキリ言ってジョブスファンである。だからこの本を読んだといっても過言ではない。そしてこの本に書かれていたことは、ジョブスのわがまま極まりない性格と、そしてその性格によって実現してきた様々な現実だった。とにかく、彼はわがままらしい。自分の思う通りにならないことなどないと心の底から思っていて、周囲の人たちは振り回され、無茶を強いられ、そして捨てられる。その連続だったらしい。それが公平な真実なのかどうかはわからない。が、敵だって多いだろう。それは本当だろう。しかし周囲との和だけを重んじていたのであれば、前例のないビジョンを現実のものにすることは難しい、というか不可能だったと思う。だから嫌われ者であったとしても何の不思議でもない。
 
 常々、思うのだ。嫌われ者であれと。キラキラレコードを運営していて、多くのミュージシャンと接する。その中で、彼らのいうことばかり聞いていたのでは物事は進まない。伸びていきたいと思っている強い気持ちと、無理はしたくないという弱い気持ちが常に誰の中にもあり、弱い気持ちを認めていたのでは、現状から変化することは出来ないのだということを、僕には言う責任があると思っているのだ。だから衝突することもあるし、嫌われることもある。それを恐れていたのでは何も出来ないし、むしろ強い気持ちを多く持っているミュージシャンに貢献することが出来ないのだ。だから、敢えて言うべきことは言うし、それによって衝突が生まれたとしても仕方ないのだと思う。むしろ、衝突を敢えて生むくらいの気持ちでいなければと思う。ミュージシャンが自分は強い気持ちを持っていると自覚している場合でも、それで満足していてはいけないのであって、そんな彼らにはさらに厳しいハードルを提示して、さらに強くなっていってもらいたいのだ。それに食らいつく者もいるだろうし、脱落する者もいるだろう。そのリスクはある。そこまで一緒にやってきた仲間を失う可能性もある。それでも、それでもなのだ。高いところに移っていくためならばそのリスクも厭ってはいけないのだと思う。
 
 だから、ジョブスの姿勢には参考にしたい部分が沢山あった。ジョブスが意識して嫌われ者であれという態度を取っていたのか、それとも本能で、何も考えずに動いていたらそうなったのかは判らない。推測するに、おそらく本能的に自分の求める物を追求してきただけなのだろう。まるで筋肉の動きを意識せずに僕らが毎日歩行行為をしているのと同じように、ジョブスは思うままに生きていたら、わがままと言われたのだろうし、周囲との軋轢を生んだのだろう。その点は問題が全く無いわけではないだろう。しかし、それで彼の功罪が否定されるべきとは思わない。この本にも書いてあるが、ジョブスにとってAppleでの成功は人生の中のほんの一部(それでも凄いことだが)で、大半は苦しい経営の中で綱渡りだった。本当に経営とは苦しいものである。気持ちが切れたらそれで終わりだ。もちろんお金が切れてもそれで終わりだ。それでも気を張って突き進むしかなかったりする。虚勢であっても張らなければならないし、虚勢であることを知っていればいるほど、その虚勢を張るのは大変なのだ。僕も時に負けそうになることもある。多くのミュージシャンもそうだろう。だからこそ、ジョブスの人生は参考になるのだ。もちろんジョブスと同じだけの成功を収められる人なんてそうそういるわけではない。だが、参考にはなる。今が大変な苦労の真っただ中であったとしても、それが永遠に続くと決まったわけではないのだ。それ以外に自分に出来ることがあるというのか。あるのなら、それに転向すればいい。だがそんなものがないのであれば、今の道を貫く以外にないのだ。そしてそこで何かを掴めないようでは、他のフィールドに転向したところで同じことでしかない。まず今のこの道でどう頑張れるのか。それを自らに問いたいと思う。それは僕のようなビジネス側の人間でもそうだし、僕のそばにいるミュージシャンたちだって同じことなんじゃないかとか思うのである。