Monday, April 20, 2009

有刺鉄線ライブ


 一昨日の土曜日、新宿URGAに有刺鉄線のライブを観に行った。有刺鉄線は昨年の秋に方向性の違いから一旦バンドを解散、しかしそもそもバンドを作った中心人物のギタリスト山崎がメンバーを新たに募集して再スタートを切った。しかしボーカルの変更というのはバンドにとっては大きなことである。楽器のプレイヤーが変わって起こる微妙な違いとは全く別物で、誰が聴いても違うということが判る。例えて言うならば、ギタリストが変わったというようなレベルの違いではなく、ギターベースドラムのバンドが、木琴鉄琴フルートのバンドに変わったくらいの、それほどの違いがあるのだ。その違いをそれまでのファンがすんなり受け入れてくれるのかが大きな障壁であった。
 
 しかし、僕はファンが受け入れるかどうかが障壁なのではないと思っていた。メンバー自身が受け入れるかどうかということが最大の障壁なのだ。
 
 もちろんメンバーは言っただろう。新しいボーカルに、ベーシストに満足していると。彼らと一緒に道を切り開くと。しかし人間は過去をそう容易く断ち切れるものではない。しかも、青春を熱唱していたパンクバンドなのだ。もしも心模様とは全く別の風景をテクニカルに作詞していたというのならば、過去を断ち切るのも簡単だろう。なぜなら過去や現在の出来事にあまり関心や思い込みなどないのだから。しかし有刺鉄線は違う。山崎は違う。彼は熱い男だ。それまでのメンバーたちとの活動が熱ければ熱いほど、その熱が冷めるにも時間がかかる。バンドは生き物だから、そう長い時間のブランクが許されるはずも無い。だからすぐにでも頭を切り替えて再スタートをする必要があった。そのことは彼も十分に判っていたし、だからこそ、ものすごい勢いでメンバーを探した。集まったメンバーたちも熱い男たちだった。それで再スタートが切れると思った。だが熱いが故に不器用な男、山崎。彼が本当に再スタートを切るためには、言葉だけの新メンバーというだけではなく、旧メンバーを超える絆をそこに見いだすことが絶対的に必要なんだと、昨年秋の僕は思っていた。
 
 それから紆余曲折、いろいろなこともあって、今年1月には急遽のシングルリリースをおこなった。これは結構強引な流れだったと思う。しかしその強引な動きの中で、彼らの絆は少しずつではあるけれども、確実なものになっていたのだろう。そして今回のライブ。新宿URGAはそこそこの満員状態で、それは決して彼らも僕も満足できるレベルではない。だが、このライブでの僕の目的は動員とか、そんなところにはなかった。確認だ。彼らにとって今絶対に必要なのは、演奏能力でも歌唱力でも音楽センスでも、ましてや結果としての動員力なんかではない。そんなのはクソくらえだ。いや、誤解なきよう断っておくが、どれも大切なことだ。そういうものが無くていきがっていても単なる負け犬の遠吠えになってしまうのだから。それらが大切なことを十分に理解しながらも、あえてそんなのはクソくらえだと言いたい。なぜなら、それを先に求めようとするのは本末転倒だからである。大切なもの、必要なものはなによりも彼らの絆であり、それが出来て初めて、彼らは真の意味で新生有刺鉄線としてスタートできるのである。言葉で言うのは簡単だが、実際はそうそう楽なことではない。だから僕も敢えて彼らにこういうことを言葉で告げることはなかったし、彼らがもがいている姿を横目で見ながら、もがく中で、彼らだけの共通体験を重ね、大切なものを掴んで欲しいと思っていた。
 
 彼らの絆は、どうだろう。僕が太鼓判を押すとか、彼ら自身が宣言をするとか、そんなことで第三者が確認することの出来るようなものではないと思っている。たまたま持っていたデジカメで、動画を撮影したので、興味がある人はそれを見てもらえればありがたいし、そこにある演奏が、彼らの今であり、すべてであるのだ。
 

『あの頃、オレンジの靴』
 しかし、これを撮るために最前列に出張ってしまったが、スピーカー前の衝撃に耐えられる耳ではもうないんだなとか思ったりした。次の朝まで耳鳴りが続いてしまっていたのだ。