Tuesday, April 13, 2010

ミュージシャンへの手紙〜彼らはデモテープを何故送るのか?

 ミュージシャンがデモテープを送るのは何故か? まあいろいろと理由はあるだろうが、基本には自分の音楽を広めたいからなのだろうと思う。キラキラレコードはインディーズレーベルだから、CDを出すチャンスを得たいと思ったりする部分も少なくないだろう。もちろんそれでいいし、その思いが強ければ強いほど、成功の目も出てくるというものだと思う。だからどんどんアグレッシブにデモを送りつけてもらえればと、僕は思っている。

 しかし、そんな時にちょっと考えてほしいことがある。ただ単に広い意味でのバックアップというものを漠然と求めるだけの姿勢になっていないだろうか。もちろん他者と組むということは、自分にはなく他者が持っているなにかを期待した行為だ。人間の能力には限りがあるし、だから他者と組むのは素晴らしいことである。それによって人は自分だけで行うこと以上の何かを得ることが出来る。キラキラレコードにはレーベルとして20年やってきた上での経験とかノウハウがある。だからそれを十二分に使ってもらえれば、それはきっとミュージシャンにとって有益になるだろうという自負がある。それを盗んで、自分のものにして、またはずっと提携を続けながら、羽ばたいていってもらえればいいのだと思っている。

 だが、提携は自分が他者に求める何かと相応する何かをこちらからも提供するということを意味する。提供出来るものがなければ、それは施しだ。善意による施しならまだ良いが、悪意を持った施しは、時として隷属を強いる結果になる。僕はそんなことにはなりたくないから、簡単に他者から施しを受けたくはないと思う。だがそれが隷属になりかねない不平等なつながりを、平等な提携だと勘違いすることも時としてある。今日メールをもらったミュージシャンはそういう勘違いに陥っているんじゃないかと思った。彼は僕からの提案を聞いて、それを考え、結局リリースに向けてチャレンジすることを止めた。そして「期待していたサポートを受けられないと思った」という趣旨のことをメールしてきた。

 過大な期待をしてくれるのはありがたいが、それにはとてもじゃないが応えられないし、応えるべきではないと。ミュージシャンとレーベルが始めて顔を合わせるというのは、妙な例えだが、合コンで始めて出会ったようなものである。その場で終わるケースもあるし、数度デートをすることになるケースもあるし、将来的に結婚までしてしまうケースだってある。だが初顔合わせの合コンの席でいきなり婚姻届を出して「結婚しよう」というのは、どんなに相性がいい関係であっても無理がある。仮にそんなことを言ってくる男(女)がいたら、そこには誠意などはなく、なにか怪しい企みがあると思った方が普通だろう。だから最初から過大な期待など出来ないし、することが良いとは思わない。それで、断りのメールに対して、返事をするのは蛇足だと思いながらも、なにかいわなきゃと思ってこんなメールを書いた。
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○○さま

メールありがとうございます。もう返事をする必要はないのかもしれませんが、なかなかドライにもなりきれず、お返事いたします。
○○さんはまったく誤解してますよ。音楽そのものが資本や材料だとお考えのようですが、それはその通りです。しかし、それを活かすも殺すも、結局は人間に帰するのです。
○○さんに音楽的才能があったと仮定して、じゃあそれはどのくらいなのか。全人類だれからも圧倒的にダントツの才能だと認められるのであれば、それは音楽のみで成功します。しかし、そんなことはありません。マイケルジャクソンだって、支持されたり非難されたりです。もっと現実的にいえば、○○さんに才能があっても、同程度の才能を持った人は沢山いることでしょう。その中から勝ち抜いて、頭角を現していかなければいけない。同程度の才能と手を組む時、ある才能はその才能を最大限に活かすべく最大限の努力をして、別のある才能はその才能を認めろと言うだけで最大限の努力をしようとはしない。その場合、どちらと組むべきかは誰の目にも明らかでしょう。弊社の提案は、それほど大した努力を要するものではありません。たとえ現時点でファンが1人もいなかったとしても、普通の努力でそのくらいは乗り越えられます。乗り越えられないと不満を言うミュージシャンも沢山いますが、それは努力をほぼしていないと言えるでしょう。だとすれば、今回のような提案を受けて、難しいと思うというのは、努力しようという気持ちが足りていないことの現れだし、そういうミュージシャンに音楽的才能が有ったとしても、きっと同程度の才能に負けてしまうことが想像出来るのです。だから、組むべき価値が少ないと見たとしても、ノーマルな判断ではないかと考えているのです。
そもそも、バクチをしようとおっしゃるのですが、○○さん自身がバクチをする気がないのではないでしょうか。このような仕事を20年やっていることそのものが、バクチのようなものですし、バクチ打ちが手を組むべきは、やはり同程度にバクチをしようという意思がある人だと思います。バクチに勝つのは、ゼニのあるヤツ。それはある意味当たっているかもしれません。バクチをせずに富を得られるなら、その方が良いに決まっています。しかし、バクチを打たなければ求める価値を得られないのだとしたら、打つべきだし、それが打てないのであれば、バクチを打って負けたヤツを蔑み、買ったヤツを羨み、自分は相変わらず大きな傷を負うことがなかったということを幸せに思う以外に無いのではないでしょうか。

言い過ぎましたね、すみません。これを最後にいたします。
失礼します。

キラキラレコード、大島栄二
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 個人名は出すべきではないし、個別内容などに関する部分も若干省略してたりもするが、大筋ではこんな感じのメールだった。

 僕の言っていることは間違っているのだろうか。もしも幸いに間違っていなかったとして、その言葉は彼の心に届いたり、響いたりしたのだろうか?