Saturday, October 16, 2010

スニーカーズ、復活のワンマン at新宿LOFT



 スニーカーズは1998年にキラキラレコードのオフィスが西早稲田に移ってきた頃からの付き合いだ。だからもうかれこれ12年以上ということになる。当時新人発掘の一環として毎月ライブイベントを行っていた。そこに出演してくれていたのだ。リーゼントを決めてロカビリーを歌う。その姿は昔風にいうところの「不良」だ。実際はそういう外見を維持しながら仕事をしたりと社会生活を送るわけで、だから風当たりも強いのか、外見が不良っぽいバンドマンほど内面は腰が低くていいヤツというのがほとんどだ。スニーカーズのリーダー、コータローくんも喋ってみると実に好青年のナイスガイなのだ。

 しかしやはり12年前は今よりも尖っていて、少しばかり険悪になった局面も無かったわけではないが、概ねいい関係を続けさせてもらって、キラキラレコードからは1枚のオムニバス参加と2枚のアルバムをリリースしてくれた。3枚目からは別のレーベルに移ったし、そうなると普通は過去のCDはあまり売ろうとしなくなり、レーベルとの関係も疎遠になっていく。だが彼らはキラキラレコードを離れても過去の作品を大切にして売り続けてくれたし、だから商品のやり取りなどで常に連絡を取り合っていた。

 だが、そんなスニーカーズとの連絡もここ数年ほとんど無くなっていた。風の噂ではメンバーも脱退し、コータローくん一人でスニーカーズを名乗るというような状態になっているということだった。ライブも見ないし、本人とも会わない。そもそもライブを続けているかさえも僕には知る由もなかった。

 今年12月にキラキラレコードの20周年を迎える僕は、20周年記念のベストアルバムの編成に没頭していた。過去の約2500曲から3枚組のベストを作るのだ。物理的に入れられるのは80分×3枚で、計4時間。長いようだが2500曲からの4時間、結果的に56曲という選曲はかなり少ない。でもここにスニーカーズを入れないという選択肢は無かった。そういうわけでここしばらく、彼らの曲も何度と無く聴いていて、そんな矢先だった。スニーカーズのスタッフからメールが来たのは。「15日にワンマンライブをやります。オリジナルメンバーが揃っての復活なんです。是非お越し下さい。」もうこれは行くしかないだろう。スケジュール調整などやりくりしながら、10月15日、新宿LOFTに足を運んだのだった。

 結果から言おう。とても良かった。会場が満員とまではいかなかったものの、場内の観客はみんなスニーカーズが好きなんだなというのが手に取るように判る。キラキラレコードと出会って12年、彼ら自身は結成15年になるそうだ。ファンだってそれなりに歳を重ねている。MCで「ライブ来てねって連絡したら「妊娠しました」とか「子供がいるので」とかみんな言うんだよね〜」って言ってた。まあ当然だろう。そんな中これだけ来てくれただけでも、彼らがいかに愛されているかの証明なのではないだろうか。



 ファンだけではない。メンバーにもそれぞれの生活がある。いつまでも20歳前後と同じというわけにはいかない。リハしてライブ、仕事を懸命にやって、音楽活動にすべてを注ぎ込む。メンバー間の衝突は、真剣であればあるほど厳しいものになってくる。詳しい事情は判らないけれど、2007年の川崎クラブチッタでのライブを最後にオリジナルメンバーは袂を分かったそうだ。そして今回、いろいろな事情を乗り越えてオリジナルメンバーでの復活。全25曲、3時間超。僕もメンバーも観客のほとんどだってみんないい歳だ。長丁場のオールスタンディングライブで体力的に疲れないはずはないものの、少なくとも僕にはとても幸せな瞬間だった。最後の挨拶でドラムの米倉くんが「やっぱり、コータローですよ。コータローが僕をここに迎えてくれて、そしてこのライブでドラムが叩けて、幸せです」と。

 レーベルをやっていて思うのは、音楽のことを好きじゃないバンドマンが意外と多いということだ。もちろんやっている瞬間は好きなんだろう。自分こそアーチストだと思っているのだろう。だが、自称アーチストには誰でもなれるが、本当のアーチストにはなかなかなれない。アーチストの定義は人によって様々だろう。だから僕の考えとは違う人がいても不思議ではないが、僕はどういうのがアーチストだと考えているのかというと、2つのポイントがあると考えている。

 1つめは、お客のことをちゃんと考えているということ。考えるというのは理屈を持っているということでなくともいい。大切に思っているということでもいいのだ。では大切に思うとどうなるのか、どうあるべきか。まず、止めないこと。自分で自分の音楽や活動を否定しないこと。お客さんはその音楽や活動にお金を支払うのだ。自分たちの音楽に支払わなければ、もっと他のことに使うことも出来たはず。おいしいご飯を食べられただろうし、別のアーチストのCDを買えたかもしれない。それをやめて、自分の音楽にお金を支払っているのである。その行為に対して誠実にあるということは、要するにそのお客さんの判断を正しいものだったと証明する必要があるということだ。売れるという結果も、ひとつの証明になる。だが頑張れば必ず売れるというものでもない。いくら頑張っても売れないということだってある。それでも「自分たちの音楽はたいしたことなかったな」などとは決して言ってはいけないと思う。売れなかったら規模は小さくなるだろう。年に1回のライブでもいいし、極端にいえば自宅からのUst中継だって構わない。とにかく止めない、自分の音楽は素晴らしいと主張し続ける。それなら頑張れば出来ることだ。でもそれをやり続けるアーチストは意外に少ない。それは要するに、本物のアーチストは意外と少ないということの現れでもあると、僕は思う。

 2つめは、道標のような存在でいること。ただそこにいて、いるのが当たり前の状態になるということ。天性のアーチストなら、多分他のことなんて出来やしない。言ってみれば他に取り柄のない木偶の坊だ。だから人生を音楽に捧げる以外にないのである。流行ろうが流行るまいがだ。雨が降ろうと陽がカンカンに照ろうと、自分のアイデンティティが存在する場所にただ立ち尽くし、そこを動かない。動かないからそこが自分だけの場所になっていくし、唯一無二の存在になっていく。もちろんそこが繁華街の目抜き通りであることもあるだろうし、山奥の獣道であるかもしれない。目抜き通りの道標ならば多くの人の目に触れて役に立つだろうし、山奥の道標ならば誰も見向きもしないで時が過ぎるだろう。しかし、そこに居座り続けることでそこは自分の場所となる。そこより他がよく見えたりすることもあるだろう。だからといって居場所を転々としたなら、自分が誰なのかも判らなくなる。自分では判っているつもりでも、他人からは常に初対面の、誰でもない誰かでしかない。そういうものをリスナーは応援しない。応援したくとも出来ないのだ。

 スニーカーズとは、そういう2つのポイントをしっかりと押さえた、というか不器用だからそれしか出来ない、そういうバンドだと思う。だからいろいろと苦しい局面にもぶつかってきたはずだ。でも、そんな彼らの12年前とほとんど変わらないステージを見て、彼らのファンは幸せだなあと思った。なぜならファンで居続けることが可能だからだ。簡単に解散したりせずに、スニーカーズという看板をコータローくんは背負って生きている。袂を分かったかつてのメンバーと何故復活しようとするのか。分かれるには理由があったわけで、それを埋めるのは並大抵であるはずがない。一度離婚した相手と再び結婚するようなものだ。しないで済むならそれが楽に決まっている。だが、ずっと昔から応援してくれるファンにとってなにが嬉しいことなのかを考えたら、オリジナルメンバーが復活することがなによりである。だから、3年別れていたメンバーに連絡を取り、もう一度やろうよと頼んだのである。そのことで、昔からのファンたちは喜んだし、僕も懐かしい思い出を蘇らせながら、自分にとっての12年間の意義を感じることができたのである。

 僕のこのブログを読んでくれている多くの皆さんにとって、スニーカーズのことは特に何の思い出でもないはずだ。だから僕が感じていることをそのまま追体験することは難しいだろうし、僕もそれを期待したりはしていない。貼付けたYouTubeの映像も、「そんなに言うほどのバンドなの?」と思うかもしれない。でもそれでいいと思う。世の中には支持したことが後になって自分の宝になるようなバンド(それはバンドに限らないと思う)がいるし、スニーカーズは僕や昔からのファンにとっては確実にそういう価値あるバンドなのである。スニーカーズのことを知らない皆さんがスニーカーズのことを好きになるも良し、別に好きにならないも良し。それぞれが、自分にとって価値あるバンドに、既に出会っていればなによりだし、まだ出会ってないのであれば、今後そういうチャンスに恵まれればいいなと思う次第である。



YouTubeには3曲をアップさせてもらった。『Liberty』『恋のハッピーパレード』『I'm Seventeen She's Sixteen』の3曲。それぞれキラキラレコードでの1stアルバム、2ndアルバム、そしてオムニバスに収録した記念すべき初音源である。レーベル在籍の頃からは時間が経過したものの、この『I'm Seventeen She's Sixteen』を復活ライブの最後の曲に選んでもらって、少々誇らしい思いだった。