Thursday, August 26, 2010

音楽と金

 ニューヨークに住むあるミュージシャンのブログがアップされたとmyspaceからメールが来た。見てみるとツアーの日程が発表されている。全米ツアー。9月頭から10月半ばまでのスケジュールが載っていた。ああ、11月ならアメリカに行く可能性があるのに。一度直接見てみたいなあ。生ライブを見てみたいなあ。

 なぜ全米ツアーに惹かれるのか?彼女は日本にはやってこないからである。

 そのミュージシャンは前作アルバムから注目している。あのトーレヨハンソンがプロデュースしていたのだ。だがそのアルバム以降もう3年以上も新作をリリースしていない。思うように売れなかったからなのか。レコード会社との契約が切れたりしたのだろうか。しかし、だからといって音楽活動を休止しているわけではない。ライブは積極的にやっている。その様子はYouTubeなどで手に取るように判る。小さなライブハウスだ。それでも活き活きとしたライブを展開している。エネルギーはまったく衰えていないという感じがする。

 オフィシャルサイトではCDとTシャツを売っていた。15ドルのTシャツはmensなのにサイズはsmallしかなく、送料は最低でも12ドルするらしい。きっとCDも同じような感じだろう。それなら日本のamazonで買うよ。日本未発売の6曲入りミニアルバムだって、USAのamazonから買えば送料は400円くらいだ。iTunesへのリンクも貼られていて、飛んでいってみるものの残念ながら新作の登録はない。あるのはアーチスト名で検索された、コンピレーションに含まれている曲が数曲。しかも曲単位で買うことができない設定で、他のアーチストの曲も買わなきゃいけないのかよって感じで、買う気になれない。USAamazonではMP3の楽曲は売っていた。だがamazonのMP3はアメリカ国内でないと売ってくれない仕組みになっている。なんかいろいろ法律とか契約内容とかがあるんだろうな。まあmyspaceにアップしている曲だけを聴くとするよ。

 彼女は一般的にいえば売れていないアーチストだ。だから規模がアメリカ以外に広がっていかない。それでもmyspaceやYouTubeなどを通じて僕らにその音楽は届く。彼女が音楽活動をやめない限り、僕はその活動を知ることが出来る。これは昔だったら考えられないことだ。音楽の世界は確実に広がっている。素晴らしいことだ。昔なら本当に売れるごく少数の音楽だけしか僕ら消費者の手には届かなかった。日本でリリースされず、雑誌にも載らず、全米トップ100に入らない音楽を知ることなどあっただろうか。マイケルやマドンナは確かに素晴らしい。だが価値はそこだけにあるのではなくて、本当に個人的なレベルでの音楽にも素晴らしいものはあるのだ。キラキラレコードがリリースしているような音楽もそういうもので、「そんな音楽があったのか」というものでも、個人的に好きになることがあれば、それでマイケルと何ら変わらない。もっといえば、諸条件が合わずにリリースにまで至らないデモにも素晴らしい音楽は沢山あるのだ。そういう音楽に出会えたことの幸せを、誰もが味わうチャンスに現代は溢れている。当然表現者として成立する裾野が広がっていく分、頂点の高さは相対的に下がってくる。それでもいいじゃないかと思う。多くの表現者がテレビなど一部独占の供給インフラによって排除されてしまう中で少数がスターとして誕生するより、インターネットの情報の渦の中で少数の理解者にちゃんと届くという音楽シーンの方が、供給側にとっても受益者側にとっても有益なんだと心から思う。

 だが、こうやって広がっているという現実はなにによって実現しているのだろうか。もちろん、インフラとしてのインターネットは重要だ。これが無ければ国境を越えた情報伝達は不可能である。だが、情報は伝達の仕組みがあればいいというものではない。そもそもの情報を発信する主体が無ければ、結局僕らはなにも知ることができないのだ。つまり、重要なのはそのアーチストそのものである。アーチストが楽曲を作って、レコーディングをし、映像を撮ってアップする。その作業が無ければ僕らは音楽を楽しむことができないのだ。

 だが、ここに大きな問題があると思われる。僕らはmyspaceやYouTubeを通じてタダで音楽を楽しんでいる。タダで消費されることで、アーチストにはお金が入っていかなくなる。そうすると彼らの自腹で音楽は創造され、生産され、タダメディアに乗っかっていく。ますますCD(や有料配信)が売れなくなり、結果としてレコード会社からは次回作の話が途絶えてしまう。結果として僕のようなファンがCDを買うことも出来ないし、配信だって受けることができなくなる。世界中にファンがいるとしても、ツアーは国内に限られ、観に行くことはかなり難しくなる。せめてTシャツを買おうとしても、料金のほとんどを配送業者と製造業者に持っていかれる。それでアーチストはやっていけるのか?

 僕は、アーチストにお金を払いたいのだ。それはボランティア精神とかではなくて、それによってもっと良い音楽を創ってもらって、近い将来に僕自身が楽しめるだろうと期待するからだ。当然つまらない音楽しか生まない表現者にはお金など払いたくない。でも良いものにはお金を払うべきだし、それは単にアーチストの生活がゴージャスになるためだけではなくて、リスナーに素晴らしい音楽が届けられるための養分になるのだ。

 でも、件の女性アーチストには、僕はお金を支払う術がない。これはものすごいジレンマだ。彼女の音楽を無料のmyspaceで楽しむし、行けないライブを無料のYouTubeで楽しむよ。でもそれでいいとは思ってないし、楽しんだ分はお金を払って次の作品を期待したいのだ。

 思うに、そういうことがレーベルの仕事なんじゃないかと思うのである。ミュージシャンに価値があるなら、その価値に見合った収入が得られるべきである。でも価値として対価をリスナーが支払う道がなければ、リスナーがいくら払いたくても払うことができないのである。レーベルのやるべきことは、リスナーも納得してミュージシャンへお金を支払える方法を実現することだ。CDを出すこともその一つ。タダで欲しいならタダでいくらでも入手できる。YouTubeの映像&音源で満足するならそれもいいだろう。黙ってたって勝手に音楽を生み出して公開してくれる物好きは後を絶たないから、お金なんて払わなくても見たり聴いたりするコンテンツは沢山あるよ。でも、どうしても好きなこの音楽は、特定のそのアーチストしか生み出すことができないものであり、そのアーチストが経済的な要因で挫折してしまったら、もうその人の新しい作品は聴くことができないのだ。それはその人にお金を払わないリスナーや、お金を払ってもらえる仕組みを作らない業界関係者の責任でもある。

 僕はもう、CDとか配信だけじゃなくて、ドネーション(寄付)制度とかが出来て、それが浸透していくようなことでもいいような気がするのだ。ドネーションが馴染まなければ、スポンサー制度でもいい。その音楽を愛す人たちが音楽家への敬意を込めて活動を支える。小額でも寄付できるような仕組み。そういうものが出来ればもっと創作活動はより純粋なところに向かって行くような気がする。でもそれがちょっと先走りしすぎた考え方だというのは僕も判っている。だから今はCDを生産するレーベルとしての活動を日々行っていくしかないが、本当の音楽とお金の関係って、突き詰めれば「良かったよ。だからお金を払うよ。もっと頑張ってね」ということになるんじゃないだろうか。それを、CDとかチケットとか、判りやすい理解しやすい形で実現しようとしているだけで、環境が激変する現代にあっては、その形態ももっと純粋で安定的なものに変化していく必要があるように思ったりしたのだ。