Tuesday, June 15, 2010

主目的

 最近Twitterをやっている。結構やっている方だと思う。だがこれって、やっているとかいないとかいう言葉で定義するものじゃないよね。ブログとかmixiまではやっているという印象だったが、Twitterはなんか呼吸するとかいう感じの部類に入るような気がする。1日中誰とも喋らなかったりするとなんかストレスたまるように、つぶやくことはもう生活の一部にとけ込んでいるような感じなのだ。

 2万人を超えるTLではものすごい勢いでつぶやきが流れる。それでも見ようと思えば見れるものだね。もちろん全部というわけにはいかないけれど、でも見ている時間のつぶやきは結構見れる。自分の認識能力もまだまだ捨てたものじゃないと思えるひとときだ。そんな中で、ある種のトレンドというか、傾向というものは見えてくる。見てる対象が多い分だけ実情にも近いんじゃないかとか思う。僕が最近気になっているのは、みんながフォローを求めているということだ。

 フォローを欲しがる。それは僕だって同じこと。でも、それを声高に言葉にするのはどうかと思っている。これも誤解されそうなので説明してみるが、それが目的だということでガンガン言うのは、まあいいのだ。中にはつぶやきのすべてが「相互フォローお願いします。必ずリフォローします」で、他にその人の生活が垣間みられるようなつぶやきもないという強者もいる。この人はフォローされてどうしたいのか、フォローしてくれた人はこの人をフォローして楽しいのか、まったく理解できない。けれども、それを追求して徹底しているのなら、まあそれもいいだろうと思うのだ。僕がこうして首をひねりながらでも言及していることで、何らかの影響を及ぼしているのなら、それも一種の成功事例だろうと思う。僕はそんな「成功」なんて欲しくないけど。

 だが、結構少なくない数の人たちが、途中から急激にフォローを求めるようになっていくのが、僕の懸念なのである。いや、それは人それぞれだから、僕がなにか意見することではないですよ。そんな資格があるなんて思い上がっているつもりはないです。でも、なんかつまらないのだ。なぜなら、それまで結構毒づいていたつぶやきが面白くて、定点観測的に注目していたような人が、ある瞬間から露骨にフォローを追求するようになって、つぶやきの中でも「フォローお願いします」と言い出し、ハッシュタグとか使い始め、言葉が急に優等生的なものになってしまったのだ。一種の八方美人。誰にも嫌われたくないんだね。野党が与党になったような感じ。そうすることで、面白みが無くなっていったのだ。

 ツイッターの面白いところは、本音が出てくるところにあるように思う。もちろん2ちゃんのような激しい本音が出るわけではない。だけどmixiなんかに比べると、一瞬のつぶやきの瞬発力と、あまりアーカイブ的に残りにくいという特質からか、ちょっとずつ本音が出る。それが見ていて面白いところだと思う。だけどフォローを意識するようになって本音が隠れ、嫌われないようにと思ってさらに上辺の建前になっていくにつれ、面白みは恐ろしい勢いで失われてしまう。もちろん最初から魅力のない人もいる。会社でやっている人のつぶやきなんかはそうだね。それでも「そういう立場」でやっているということがこっちにも判っているから、広告を見るような意識で接するし、失望も特に起こったりはしない。でも個人でやっていて、最初はそうじゃなかったでしょうというような人が仮面を被り始めるのは、本人の意図とは違って、魅力を失うのが、つまらないなとガッカリするのだ。

 僕はこれ、自戒にもなるなと思った。Twitterでの僕のつぶやきもそうだけれど、その前に本業の音楽世界もそうなのだ。バンドマンはインディーズ以前にアマチュアとして活動していて、その頃には基本的に好き勝手なことを歌う。しかし、インディーズデビューして、ある程度の「聴かれている」という意識が芽生え、さらには「売れたい」という思いが大きくなり、リスナーに迎合しようとする。ライブハウスなどでアンケートを配ると、ほとんどは書いてもらえないのだが、時々細かなことを書いてもらうことがある。好意的な意見の時は「良かったです」「頑張ってください」「応援しています」程度の、非常に漠然とした内容がほとんど。しかし批判的な意見のときもあって、そういう時はかなり具体的な点について書かれることが多い。そうするとバンドマンはそういう批判的な意見にひきずられてしまう。結果的に、自分のいいところを伸ばすではなく、自分の欠点を潰していくという意識が強くなっていく。それは八方美人への第一歩だ。

 文化なんて、全員に支持されるなんてことはまずないと言っていいだろう。それは政治の意見を聞かれた時に「自民党も民主党もいい政党ですよね、もちろん社民党も共産党も公明党も良いこと言ってるし、みんなの党とか、後なんでしたっけ、名前覚えてなくてすみません、でも政治家の人たちはみんな良い人で、仲良くやってほしいです」みたいな意見を言うようなものだ。それだと、反感は買わないが、何も言っていないのと変わらない。意味がないし、共感も得られない。個性を発揮するというのは、その個性を理解しない人からの非難を覚悟するということだ。つまり一定層からの支持を得るためにはその層以外からの支持を捨て去ることも必要なのだし、それ無しには支持を集めることなんて出来ないのである。音楽でいえば、トンがるということだ。特徴を出して、自分の初期衝動に誠実であること。これが大切なことだ。だから僕は例えばハードコアのバンドなんかに、そのジャンルは多くの支持を受けにくいかもしれないよと最初に言う。でも、それが好きでやっているのなら、それを貫き通せとも言うのだ。好きなことをやって売れないなら仕方ないじゃないか。もし嫌いな音楽を売れるためにやってみて、それが売れたって面白くないだろう。そもそも売れ線ジャンルを好きでやっているバンドに、売れるためにやってみたくらいで勝てるわけがないのだ。

 そういう意味で、最初から徹底して「相互フォローお願いします」とだけつぶやき続ける人(?)は凄いと思う。気に入られるためにいやいや日常生活をつぶやいてもらったって、それはきっと面白くないだろう。だから、既に面白い個人的つぶやきを展開している人が、突然八方美人的に変容してしまうのは、同じように面白くないことなのだ。それを含めて人間の心の変化と言ってしまえばそれまでなのだが、そう割り切るには惜しいなあと思っている人が、僕のタイムラインには少なからずいるのだ。