Wednesday, August 18, 2010

ジャンゴレコード

 奈良には燈花会というイベントを観に行った。これもかつて、5〜6年くらい前に偶然知ったイベントだった。奈良のライブハウス、ネバーランドに出演するバンドのライブを観に行ったとき、偶然にも燈花会というイベントは行われていた。鹿で有名な奈良公園や、東大寺前の芝生の広場にろうそくを灯すというシンプルなイベント。ただ、ろうそくの数がものすごいのだ。万の単位で繰り広げられる光のイベント。古都にとても似合った、静かな催しだった。普通のイルミネーションイベントだったら、張り巡らせた電球のスイッチを入れれば済むことだ。だが、ろうそくなので一つ一つ火を入れていかなければいけない。その労力無しには成立しない。しかも夜のイベント中以外は、ろうそくを灯している白いカップも撤去される。つまり毎日設置して、火を入れて、撤去する。それを10日間繰り返す。僕ら観光客は「ああ、キレイだなあ」と言っていればいいが、運営者は大変だ。しかも、入場料なんてないのだ。ろうそくの募金もしたいし、手ぬぐいなんかも買おうというものだ。そのくらいさせてください。もう十分にお腹いっぱいの鹿にせんべいを買い与えるよりも、ろうそく募金の方が価値がある。

 話は横道にそれたが、その燈花会にまた行きたいとずっと思っていて、今年ようやく機会を得た。12日に大阪での仕事があり、その流れで13日の燈花会に行く。嬉しくて、奈良のガイドブックとかを買って予習とかした。燈花会は夜だけのイベントだから、昼間にどこに行こうか。どこで何を食べようか。下調べの段階から観光は始まっている。楽しいひとときだ。

 ガイドブックに、奈良のカルチャーみたいなコーナーがあって、そこに載っているお店に目が止まる。これは、数日前にTwitterで知り合った人のお店じゃないかい。ジャンゴレコード。それがお店の名前だ。タワレコのような新譜中心に扱うお店ではなく、一種のセレクトショップらしい。新宿西口なんかに沢山あるようなお店なのだろうか。HPなんかも眺めてみる。なんか面白い。基本的に僕の余り知らないようなジャンルのCDが目白押しだ。そして、お勧めの仕方がユニークだ。「激レア」「買うべし!」「凄いCD!」強烈なセールストーク的単語が並んでいて、「本当かよ?」と思う。だけどなんか無視できないのだ。強烈なセールストークは、大抵の場合自然と拒否感が沸き起こる。売れれば何でもいいというオーラが漂うからだ。だけど、このCDセレクトショップの場合、なんか違うのだ。この店長の「これを売りたい」という想いが滲み出ているのだ。そして「これを売りたい」の「これ」が、普通はメイン商品にはならんだろうというような、ほとんど大抵の人はまったく関心を持たんだろうというような、そういうタイトルである。儲けたいなら、もっと別のものをプッシュすべきだ。大資本が宣伝してくれている商材を持ってきて、他の店と横並びで売ればいい。iPhone4とか売っていれば、それなりに売上げは上がるだろう。お店の努力とは別に、メーカーとメディアが勝手に盛り上げてくれるし、いち早く買った人が自慢という形で広めてくれるし、持っていない人は「ああ、欲しいなあ」と思う。時流に乗るということはそういうことであり、儲けたいことが優先だったら、そういうことに取り組めばいいのだ。

 だが、ジャンゴレコードの選択はそうではない。普通に考えれば明らかに売れそうもない商材に手を出している。なぜそうなのか。おそらく店長は音楽がものすごく好きなんだろう。そして良質な音楽を多くの人にも聴かせたいのだろう。その気持ちはすごく判る。だって僕自身がインディーズレーベルなんて仕事をしているのであって、「そんなバンド、知らないよ」と言われたって、それが好きなのだから仕方ないし、それをもっと多くの人が知れば、知った人は確実に幸せになるだろうとか思ってしまうのだから。僕はCDになっていない音楽をCDの形にして、世の中に出すという仕事をして、ジャンゴレコードはCDになっているけれども、残念ながら多くの人に知られていない音楽を知らせるという仕事をしているのだろう。だがいずれも一般的平均的なシーンからは明らかに外れて(僕自身は20歩ほど先を行ってしまっていると思っているのだが)いて、商売的には必ずしも成功しているとはいい難い。

 しかし、そういうことをやる人は必要なのだ。

 なら燈花会に行き、僕は是非このお店に行ってみたいと思った。13日の夜、店長はTwitterで燈花会に行って写真を撮ったことをつぶやいていた。そのつぶやきに対して「明日お店に行くかもしれません」というRTをしてみた。だが14日になってもそれに対して返事はない。まあ返事が有るか無いかに関わらず、僕はそのお店に足を運んだ。裏路地に、ただ「CD」という看板が掲げられていた。これが店か?扉を開けると、確かにCDやアナログレコードがならんでいた。入って左側の壁1面にCDが面出しされて、やはり激熱なコメントがそれぞれに貼付けられている。

 この状態をどう見るべきなのか。僕らが普通レコード屋に行って、特別に目指すアーチストやCDが無ければ、普通は面出ししてあったり平積みされているCDくらいしか見ない。そういう意味ではこの面積の店で、このくらいのタイトル数が面出しされていれば十分ではある。だが、お客の意識というのは必ずしもそんなに合理的ではない。それなりに沢山ある中から自分がそれを選んだんだという自覚が満足感を生む。たとえ実際にはお店の誘導に流されて選んだだけだとしても。だが、そもそもの在庫が少なかったら、そういう「選んだ」という満足感を得ることは難しい。面出ししてあるタイトル数は十分だと思う。だが、それを支えるCD全体の数が、残念ながら少ないのだ。もちろんそれはCDショップ経営の難しいところだろうと思う。というのは、基本的にCDの店頭在庫は現金仕入だからだ。普通は定価の70%で仕入れることになるのだが、1枚3000円のCDであれば2100円がかかる。5000枚仕入れようとするといきなり1000万円を超える経費となる。しかもそれは在庫であり、経理的には資産になる。当然税金の対象となるわけで、ただそこに置いておくには大変な負担なのだ。多少なりとも返品制度があるとはいえ、売上量の少ない個人経営店に返品の枠は少ない。そうなると売れなければデッドストックだ。そう簡単に闇雲に注文することも難しい。

 ジャンゴレコードは音楽好きな個人の熱い想いで運営されている。その熱い想いはどのくらい伝播するのだろうか。奈良の路地でひっそりと営業しているそのチャレンジが、是非ともうまくいって欲しいと思うが、簡単な話でもないだろう。「今日も1日誰も店に入ってこなかった」とかつぶやかれたりすると切ない。キラキラレコードのCDだって1枚も売れない日はある。凹むばかりの日々だ。それでも飽きずに続けているのは、真っ当なビジネスマンから見たら狂気の世界かもしれないだろう。

 だが、止めるわけにはいかないのだ。それがもう僕自身のアイデンティティなのであり、それを止めて別の儲け話で潤ったところで、それは単なる金への感度の良い糞袋でしかない。僕が僕であるということは、僕にしか出来ない何をかをやるということだ。僕自身が音楽を生んでいるわけではないし、ジャンゴレコード自身が何かを奏でているわけでもない。だが、僕の存在によって音楽を創造しようという力を持つバンドマンが少なからずいるし、ジャンゴレコードによって新しい音楽世界に触れて、それによって表現者を含んだ音楽の世界が広がって深まっていることも事実なのだ。非力ではあるが、無力ではない。

 amazonが底辺の音楽表現者にもたらした恩恵は少なくない。ある種革命的なインフラだ。機械的ではあるだろうがいろいろとお勧めしてくれるし、ボランティア的なレビュアーの感想も参考になる。売る側からしても、myspaceやYouTubeなどで試聴してもらってからamazonにダイレクトに飛んでもらえるのは理想的だ。タワレコの試聴機に入れてもらうよりもはるかに意味があると思う。お客さんの側からしても、試聴してすぐに買えるというのは素晴らしい仕組みだと思う。だからそれはそれでいいのだ。でもそれだけではちょっと物足りない。

 僕らはどういうことから音楽を知っていったのだろうか。お兄さんやお姉さんのいる人なら、年上の彼らが聴いていたものを盗み聞きしただろう。あるいはませた同級生が持っているレコードやCDに興味を持っただろう。自分よりも何かを知っている人に、僕らは憧れを持つ。だからそういう身近な人に追いつきたくてそういうものを「好き」だと口にし、ちゃんと知ることで追いついたと錯覚する。その過程で、自分の好きなものの原形が形作られるように思う。そういう原体験が自分のルーツを作り、その上にすべての価値観は築かれていく。ある程度の歳を重ねると、もう音楽のことは知っていると思ってしまい、新しい音楽を聴こうとはしなくなる。だがそれは間違いだ。いつまで経っても新しい音楽との出会いは可能だし、そういう出会いが自分を深める。もちろん音楽だけじゃないだろう。だけど音楽には確実に自分を深める力がある。その出会いを放棄するのは、ちょっと悲しいことだなと僕は思うのだ。

 amazonで物足りないものは何かというと、そういう「自分の知らないもの」である。自分の中に無い価値観をぶつけてくれるような刺激である。かつてはレコード店の怪しげな店長がそういう役割を担っていたように思う。レコード屋さんは、基本的に金持ちの道楽だ。資産が無いと始められないし、維持することも難しい。そしてなにより、音楽に詳しくなければ商品を充実させることもできない。詳しくなるためには沢山聴く必要があるし、それはかつては金持ちのおぼっちゃまにしか出来ないことだった。そして当時はまだそういう人たちの道楽的な店舗営業も可能だった。そもそもそういうお店しか世の中には無かったし、だからレコードが欲しかったらそういうお店に行くしかなかったから。しかしタワレコのような巨大店舗が席巻していくことで、そういう小規模店舗はどんどん売り上げを下げた。タワレコにはバイトの従業員が溢れ、金持ちの音楽好きショップは淘汰されていく。そこで情報をダイレクトに得るという経験はどんどん少なくなっていった。そしてamazonの登場で今度はタワレコなどの大規模店さえも淘汰されようとしている。ネットでどんどん便利になろうとしている一方で、僕らはものすごい情報の中から自分で探さなければいけなくなってきている。

 なんか長く書きすぎて訳わからなくなってきているな。結論を急ごう。

 僕は、ジャンゴであるCDについて在庫を聞いた。それはあるレコードのCD化で、ジャンゴのHPで紹介されていたものだ。僕はamazonで注文したのだが、後日amazonから入荷の予定がないとのことでキャンセルになっていたのだ。すると店長は「いやあ、あれはもうないんですよ。発売から数日でネットオークションでも10000円以上になってて、大変な状況なんですよ。関東なんかだと店頭にならんだのは1枚もないんじゃないですか」と言った。それでちょっとあきらめていたところ「でもあのバンドの曲が入ったコンピならありますよ」と言ってくれたので、「じゃあそれを買います」ということに。それでレジで会計をしようとしたら急に店長の表情が曇り始めた。「あれ〜、よく見たらこれには入ってないですね。サンプル盤に入ってたのでてっきり入ってるかと思ってました。ごめんなさい」と。だが僕には他のCDを物色する時間もないし、まあこれも出会いだなと思い、買うことに。店長は「いや、その曲は入ってないですけれど、このCDはとっても良いですから」と平謝り。嫌なら僕が買わなければいいだけのことだし、それでも買おうというのは僕の意思だ。レジ寸前で収録曲のことに気づいて説明してくれる店長の、なんか良い人っぷりが嬉しかったし、そういうやり取りのために数千円払っても惜しくないなと思ったのだ。

 それで今、僕の机にあるステレオからそのCDが流れている。これがすごく良い。とても良い。普段の生活の中では絶対に出会わないCDだし、それを今こうして聴けていることがとても嬉しい。簡単に言えば、僕とは違うアンテナを持った店長が、僕のためにいろいろなものを試聴して、そして店長が積み上げてきた音楽耳によって判断された「良い音楽」を僕に提示してくれているのだと思う。お店でのやり取りとか、お店の整理の仕方とか、看板の出し方とか、贔屓目に見てもマズい点は沢山あると思う。だが、この音楽に対する判断は素晴らしい。えてしてこういう人は別の側面の完成度に欠けるのだろうし、その不器用さが一般に受け入れられ難いということにつながるケースが多い。でもその分、音楽へのニュートラルでピュアな感性は優れているわけで、僕は今回の関西出張でそういう出会いを持てたということが、大きな収穫の一つだったなあと心から思っているのである。そして今後、彼が紹介するCDを、出来るだけジャンル的にも自分とは遠いなあと思うようなものを選びながら、毎月のように買っていきたい。そうすることで、彼のようなピュアな活動がちゃんとビジネスに乗る、ほんのちょっとくらいの後押しになればいいなと思うのだ。