Tuesday, August 24, 2010

個人的なつながり

 今は当たり前に手にしている友や家族との絆。それはなんてはかなくて貴重なものなんだろうと、時々思う。いや、時々思ったりしなければと、常に戒めているのだ。

 先日父の十七回忌が終わった。大学から故郷を離れ東京に暮らす僕は、若い頃思い上がっていた。自分は成功するのだと。そして成功した暁に故郷に錦を飾るのだと。いや、それは今でも信じている。いつか自分は成功するのだと。だが、当時と決定的に違っているのは、錦を飾らずとも、家族のもとに帰ってもいいのだという認識だ。

 大学を4年で卒業し、バブル期だったこともあって就職はすんなり決まった。サラリーマン生活を3年とちょっと経験し、小さなレコード会社を作る。それなりに頑張って増減はあるもののスタッフも数人いてくれる。だが、一体どうなれば「成功」と言えるのだ?錦を飾ると言えるのだ?その答えは今も見つからないし、日々のやりくりに汲々とする状態は、お世辞にも成功といえる状態ではないだろう。それでも僕が毎年2回田舎に帰るのは、やはり病に伏せた父の姿を見たからだ。僕にはまだ錦を飾ることは出来ない。それでも顔を見せることくらいは出来る。せめてそのくらいのことでもしないでどうする。そう思った。病気で喉をやられた父は張りのある声を失って、ささやくような言葉しか出せなかった。田舎に帰った時くらいは毎日の様に病院に行き、会話も負担だからベッドの横の丸イスで本を読んだりして過ごした。もう一緒に過ごす時間は限られているのだから。しかも1週間もすれば東京に戻っていかなければならなくて、もしかするとその1週間が会える最後になるかもしれなかったのだから。

 それから16年が経過したのだ。その間ずっと年に2回は福岡に行き、結婚して以降は奥さんの実家の三重にも年に2回ずつ行っている。それが僕に出来る唯一で、最大のことなんじゃないかと、今は思っている。

 
 昔の友達って、なんなんだろうか。もちろん同じクラスにいた時点でほとんど話さなかった人間もいる。だが当時は毎日の様に一緒に過ごし、2人だけの秘密を抱えた奴だって少なからずいた。でも今となっては音信不通の場合が多い。学生時代の友人で今も年に1度以上会うような人はごく僅かだ。当然生活が別々になってるのだし、新しい付き合いの人も出来てくるわけだから、いつまでも昔の付き合いが持続するわけがない。悲しいけれども現実だ。悲しいとばかり言っていても仕方がないので、新しい知り合いとの人間関係を充実させる様にしている。それでいいのだと思う。だが、かつての濃い関係もやがて薄れていくように、今の人間関係だってやがて薄れていくのだということも少しだけ判っているのだ。

 だから、今この瞬間だけでも、充実したコミュニケーションがしたいと思ってやまないのである。

 Twitterは便利なツールだ。これまでだったら知り合う可能性さえなかった人たちとつながることが出来る。僕は浮かれているよ。端から見たらそう映るだろう。その通りだから仕方がない。過去の友人関係が薄れていくのなら、それを補うように新しい関係を築きたい。毎日同じ授業を受けていた仲間たちと同じ濃さが難しいのなら、せめて40人のクラスを400人に、4000人にと増やしていけばいいじゃないか。まるでそう思っているように映るだろう。そうかもしれない。自分ではどう思ってやっているのだろう。それも実はよく判らない。判らないままにやっているのだ。それはきっと僕だけじゃなくて、交流させてもらっている多くの人たちも判らないままにやっているんじゃないだろうか。もちろんそこに正解なんかないのだし。

 mixiのときもそう思った。これは面白いと。全然知らない人たちと出会ったり、昔の友達や、遠くに住んでいる人たちとやり取りが出来るようになった。でも、mixiから離れていく人が増えた。それでもまだ十分に稼働しているシステムだとは思うが、それでも「あの人はどうしているんだろう」と気になる人が、すでにmixiにほとんどアクセスしていなかったりすると、mixiの魅力が半減してしまう。そう感じている自分に気づく。そして、僕自身がもうほとんどmixiの日記を書いてはいない。

 早くからmixiをやっていた人のほとんどはTwitterに移ってきたようだ。mixi日記を書かなくなった友人たちも、Twitterでつぶやいたりしている。つぶやきのアカウントを教えてもらったりして今でもつながることが出来ている友人もいれば、Twitterにいるのかいないのかさえ判らない人もいる。まるで高校の同級生が大学で別の学校に行ってしまったみたいな感じを思い出してしまう。そうやって、人と人は疎遠になっていくのだ。高校で同じクラスになったということがいかに奇跡であっても、その奇跡を繋げていくことは実は更に難しい奇跡なのだ。mixiとかTwitterごときに、その奇跡を克服するのは難しい。だから今は盛上がっているTwitterだって、やがて別の何かに取って代わられてしまうかもしれないし、そうなった時に、僕らは今築き上げているつながりをまた失ってしまうのかもしれない。

 今年の夏に福岡に帰った時、父の十七回忌に伯父や伯母が集まってくれた。おじいさんが健在の頃には、みんなで正月におじいさんの家に集まるのが当たり前だったけれど、おじいさんが無くなってからは正月に決まって集まる場所も無くなった。兄弟なのだから決して会うのが嫌なんじゃない。ただ、意識して会うというのはなかなかに難しいことなのだ。3年前の僕の結婚式でみんなで京都に集まって、観光なんかもしたらしい。その時から少しずつ兄弟の交流が深まるようになったという。今回の十七回忌で、伯父や伯母は年に1〜2回集まって旅行をしようと話をしていた。いいことだなあと思った。もうみんな70代になって、兄弟で集まれる機会もそうそうあるわけではない。意識してそういう機会を作らなければ、人は散り散りになってしまう。

 あらためて思うけれど、ネットはいいよ。ネットによって僕は昔の友人と再び巡り会い、連絡を取り合える中にまで戻ることが出来た。だが彼らとも「会おうぜ」とかメールでやり取りしただけで、実際に会うところまでは至っていない。近々会いたいなとは思っている。思っているだけではダメなんだということも判ってはいるのだけれど。