Monday, December 20, 2010

最高の休日

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 2010年12月19日は僕にとって今年最後のライブになる予定だった。カノープスのレコ発記念ライブ。無人島ライブの当日である。

 この日カノープスはトリの出演で、その前にみみずくずというバンドが出演した。名前は知っていたものの、詳しいことはよく知らない。ライブを見たことはおろか曲を聴いたこともなかった。過去にメジャーデビューをしていたらしい。だがそれがいつなのかもどの会社からだったのかも僕には何の予備知識も無かった。

 カノープスのビデオを撮影する。それが今日の最大の目的だ。撮ったビデオは編集して即座にYouTubeにアップする。アルバムプロモーションの一環になれば。リハの時間に一度会場に行ってみた。思ったより狭かった。今日はレコ発で満員が予想されているだから、いい撮影アングルを確保するためにはカノープスの出番ギリギリでは遅いかもしれない。だから僕はその前のバンドからスピーカー前の位置を確保することにした。それが、みみずくずだった。

 おもしろいなと思った。いろいろな意味で。彼らがメジャーに行った理由も判る。そしてメジャーに留まれなかった理由も判る。才能には沢山の種類がある。音楽で成功するのに必要な才能は主に2つだ。音楽の才能と成功の才能である。そしてその両者は根源的に相反するものであることが多い。音楽の才能は孤独であることが要求される種類のものだ。群れていては唯一の表現は難しくなる。そして成功の才能には集団で生き抜くことが要求される。音楽が音楽ビジネスに転化する際に様々な場での世渡りが必要となり、そのために集団の中に身を置くことがどうしても必要になる。なぜなら一人で何でも出来たりはしないからだ。その相反する才能を発揮するのは極めて難しいことである。だから、もっとも身近で自らの才を全身で信じてくれる代弁者がいるかどうかが、音楽で成功するために最大唯一のカギになる。だが、孤独になりきる過程でその最も信頼すべき代弁者のことを信じられなくなってしまうことも少なくない。

 そうして2000年にメジャーデビューを果たし、2004年に事務所を離れる。普通はそこで解散となってしまうケースが多いのに、なぜかやめるきっかけを失ったんだとMCで語った。もちろんそれは形だけの表現なのだろう。解散して音楽を止める場合に音楽を続ける理由を失うのであって、続けることにこそ理由も意味も必要なのである。彼らは音楽を続けている。彼らには続ける必然性があった。そうでなければ、音楽を続けるなどという苦しいことが出来るわけがない。苦しいことを超える喜びが、彼らにとっては音楽だったのだ。

 音楽をやる資格とはなにか。自分の音楽を他人に聴かせる資格とはなにか。それはとても重要なことだと思うのだが、あまり語られることはない。自分がやりたいから。それは単なるエゴである。だったらカラオケボックスで歌えばいい。練習スタジオに入って思う存分演奏をすればいい。よく河原でトランペットを吹いている人がいるが、近所に住む者には迷惑以外のなにものでもない。それと同じだ。ましてやライブでチケット代を取ったり、CDを作って金を出させたりするなんて、エゴでやられたら甚だ迷惑である。だからそこには資格があるのだと思う。その資格は、音楽をやることが苦しさを超えるのかどうかだと思う。苦しさが勝れば、不遇な時に続けることなど出来ない。続けることが出来なければ、その表現に期待し共感したリスナーを裏切ることになる。だから、ちょっとやそっとの苦しさごときで止めるようでは資格など無いのである。

 僕の周辺に多くいる、メジャー未経験で夢を抱いているミュージシャン。彼らの満たされない思いと、一度メジャーに行って売れなかったという結論を得ているミュージシャンでは、痛みの質がまったく違う。みみずくずは違う質の痛みを感じているに違いない。そんな彼らのパフォーマンスが、とても楽しかった。見ていて小気味よかった。ボーカル林レイナはライブ中のMCで、三週間前に母親が急死したことを語った。その日から大阪に向かって通夜だの葬式だのを慌ただしく過ごし、今もまだ実感の無い世界に包まれていると。こんな状態でライブなんて出来るんだろうかと思ったけれど、メンバーとスタジオに入って音を鳴らし始めると、なにかスコーンと抜けるようで、音楽の中に入っていけたと。だから今日ライブがあって良かった、呼んでくれたカノープスありがとうと。そのMCのあとに「最高の休日」という曲を歌った。それが最高にカッコ良かった。いろいろな解釈があるだろう。僕は、これは人生の歌であり、同時に音楽へのオマージュだと思った。音楽は純粋で手軽で、だからこそ獰猛で苛烈である。ただ旅の供として携えるだけならばこんなに適当な相棒はない。だが、それに正面から向き合って御していこうとするのであれば、簡単に思う通りになどいかないし、一切の手心を加えてくれず、下手をすれば人生そのものを飲み込んでしまう。それが恐ければ逃げればいいのだ。そして遠くから眺めるだけの距離を取れば傷つくこともない。だがあまりに正面から見つめあうせいで時として魅入られてしまい、その場から動けなくなる。そして気がつけば痛みさえも快感に変わっていく。そのことは実は最初から解っているのだ。それを理解して受け入れた者だけが、音楽をやる資格があるのだと、僕は思っているし、彼らみみずくずにはその資格があるのだと思う。売れようが売れまいが、そんなことはまったく関係ない。

 今日はその「最高の休日」を新しく録音した新譜が売られていた。CD-Rだ。2曲入りで840円。だが今日は500円で売られていた。音楽ビジネスを成立させようと日々頑張っている僕から見ると、その商品形態は有り得ないと思うし、もっといいやりかたもあるんじゃないかなとか思うけれども、それも音楽をやる資格という視点で見れば些末な問題でしかない。僕はそのCD-Rを買った。音楽を本当に愛するミュージシャンたちへの一種のリスペクトの気持ちとして、そして感動できる音楽そのものを手にしたいという欲求から、買ったのだ。今この文章を書きながら、たった2曲のそのCD-Rを、エンドレスで流しているのである。