Monday, August 15, 2011

盆休み

 現在三重県松阪市に来ている。お盆休みを奥さんの実家で過ごしている。

 昨日、伊勢神宮に行った。その途中、商店街の一角にさびれた洋品店があった。man's shopという看板が出ていた。一体ここで誰が服を買うんだろうと思った。見るからに若者向けにしようという雰囲気があるが、若者の注目を浴びるにはセンスが古いし、若者向けにしたことで、古くからの年配の客は入りにくくなっているはずだし。洋品店の両隣にはシャッターを下ろした店が並んでいた。お盆だから休んでいるだけならいいのだが。

 参拝の帰り、コーヒーでも飲もうとスタバの看板につられてショッピングモールに入った。老若男女、客で溢れていた。スタバもあればKALDIもある、ビレバンだってある。チェーンかどうかわからないけれどオシャレそうな服屋さんも明るい雰囲気の靴屋さんもある。地域の人は、少しばかり遠くても車でここに集まるのだろう。シャッター商店街が広がるのも判る気がする。

 大資本が地元商店のコミュニティを破壊したと批判するのは簡単だ。だが、僕は古くからの駅前商店が本当に努力してきたのだろうかと疑問を持った。なぜなら、基本的に商売を左右する大きな要因のひとつが立地であり、駅前の商店街というだけで大きなアドバンテージだからだ。今も活気のある商店街というのは沢山ある。人の流れを期待出来る最高の立地というアドバンテージを最大限に活かして、商売がうまくいくような努力をきちんとしてきたなら、必ずしもシャッター商店街になる運命ばかりではないはずだ。

 その一方でどんどんさびれる商店街も多い。大資本に太刀打ち出来ないと言うのなら、最初から負けである。親がいい場所で商売をするというポジションを獲得し、その下でのんびりと育ち、いざとなったら実家の商売を継げばいいという思いだったのではないだろうか。昔はそれで良かったのかもしれない。しかし、サラリーマンの息子が良い就職をするために競争して、入社しても同僚との競争をして、そうやって来た人たちが相手としてショッピングモールを作るのだ。のんびりしていたらやられるのも必然だ。全能力を費やして戦わなければ。

 昔は駅前というアドバンテージを既得権として持っていた商店が、ある日ショッピングモールの登場でさびれていく。これも必然なのだろうと思う。本来すべきだった設備投資もせずに、薄暗いままのゴチャゴチャの店舗をずっと維持している。店が経費をかけずに収入を上げる一方で、お客さんへのサービスは相対的に低下しているのだ。だとしたら、それ以上のサービスを提供する商店に人が流れるのは避けられない。そういう商店が集まっている場所がショッピングモールなら、新たな商店街が誕生したというだけのことだ。もちろんそのショッピングモールもやがて古ぼけてくる。全国にそういう場所は沢山ある。その古ぼけが限度を超えたとき、また同じような新たな商店街が出てくるだろう。

 人も組織も、競争にさらされるから努力するのだろう。だから競争を避けたがる。電力会社も公務員も、独占で仕事をしているところはみんなそうだ。だから淀むのだろうと思う。電電公社の頃は電話を引こうとすると権利金というのを当たり前のように取っていた。8万円くらいした。だから学生は下宿に電話を引くことが出来ず、大家さんの電話を借りたりしていた。しかし、民営化になり、さらには携帯電話が普及し出し、携帯電話会社が複数出てくるようになると、学生であっても普通に携帯を持てるようになってきた。独占のままだったらどうだったのだろう。今でも携帯はバカ高くて、大きな機械を肩から下げるようなものだったかもしれない。そしていまだに固定電話を引くのに8万円かかるという状態が続いていたかもしれない。あの8万円にも当時正当な理由はあったはずだ。だが今となってはその金額はたんなる押しつけ、電電公社の勝手な言い分にしか思えない。

 時代が移るというのはそういうことだ。新しい時代にうまく乗っていく者も現れるし、古い時代にしがみつこうとして取り残される者も出てくる。古いものがすべて悪いわけではない。だが、往々にしてその古い時代にあった独占的な既得権にしがみついているだけということが多いのではないだろうかと僕は思うのだ。既得権であることをカモフラージュするために、権利を持ってる人たちがノスタルジックな言説を絡めてくることが多い。そういうのに気をつけながら、新しい時代の変化に対応していく必要があるのだろう。

 だとすれば、次に独占状態から脱却すべき、脱却させるべきなのは一体なんなんだろう。そんなことをぼんやりと考えながら過ごす、お盆休みである。