Saturday, June 01, 2013

にわかな国際化

 キラキラレコードはどんなジャンルなんですかと聞かれることはしばしばだ。だがそう聞かれていつも困る。なぜなら特定のジャンルに偏ったりするつもりは無いからだ。そもそも僕の音楽業界人としてのスタートはビクターレコードであり、そこで営業の仕事から始めた当時の僕は、クラシックだろうとジャズだろうと童謡だろうと落語のCDだろうと構わずに売っていた。レコード会社とはそういうものであり、特定のジャンルに特化するのはおかしな話だと今も思っている。

 とはいえ、どうしても邦楽ロックを中心としたアーチストが並ぶのもインディーズというものの宿命ではある。それにそもそも自分の得意分野が邦楽ロックなので苦痛ではない。ただしレーベルのラインナップが偏るのはできれば避けたい。ということで、2007年にはオーストリア人のロックCDをリリースした。ついに洋楽をリリースしたわけである。とはいってもそのアーチストは日本在住で、下北沢でストリートライブをやっていた人だった。その人の彼女が日本人で、結婚して日本永住しようかと悩んでいた。それを洋楽と呼んでいいのか?まあ日本人じゃないからいいか〜、という程度の、ある意味「なんちゃって洋楽」だったわけである。

 それから6年の月日が流れ、キラキラレコードも京都に移り、いろいろな変化を体験してきた。そんな中最近にわかに起こってきているのが国際化である。もう5ヶ月くらい交渉をしているドイツのバンドがいる。日本でCDをリリースしたいというのだ。ドイツ人とイギリス人が組んでいるバンドで、活動拠点はドイツなのだが、歌詞は英語。リーダーのミュージシャンとのコミュニケーションは基本英語。メールでなんとかやり取りをしている。facebookのフレンド同士になり、お互いのプライベートの状況なども知っている。直接会ったこともないのにもうすっかり友人のような気分である。ついでに言えば、彼の住所もわかってるし、Googleマップのストリートビューでどんな街並なのかも知っている。すごく身近に感じられる。世界は狭くなった。

 このバンドとはCDリリースについてほぼ契約寸前で、この週末に書面に署名して返送してくれることになっている。きちんと進めば7月後半にはリリースの運びとなる。それ以外にも今現在複数の海外アーチストのCDを日本でリリースする話が進行している。CDがまだまだ音楽流通のメインにあるという日本の特殊事情がそういうニーズを生んでいるのだろうが、だとしても、数年前だとそういう海外ミュージシャンとの接点がまず持てなかった。それが比較的簡単に出来るようになってきたというのが、とても面白いと思うし、可能性を感じる。こちらから海外へのアプローチもどんどんしていけるだろうし、そのノウハウが積み重なれば、海外のレーベルと提携して日本のミュージシャンを全世界ツアーに送り出すこともそう遠くないことなのかもしれないと思う。

 また、CDのプレスも海外に直接発注するようになった。国内のプレス会社や、海外に工場を持つ国内のプレス窓口会社などとの付き合いも依然としてあるが、海外の工場で生産するのであればダイレクトに発注しても品質に問題はないし、間に業者を入れない分コストも下がる。CDプレスの会社も日本の仕事を取りたいのか、直接営業をかけてくるようになった。ネイティブとはいえない日本語のメールでの営業なので文面は高飛車な表現に感じることもあるけれど、実際はすごく積極的で、すごく丁寧な対応をしてくれる。先日もわざわざ海外から国際電話をかけてきた。僕が英語で話せばいいのかもしれないけれど、向こうが日本語で一生懸命に話してくれるので、回りくどい感じではあったが日本語で会話した。それだけでもとても好感が持てる。

 実際にモノを送るのに時間がかかったり、代金の支払いで手数料がすごくかかったりするというネックはあるけれども、そういうことがグローバル化なのだろうという気がする。もちろん国内の工場や窓口会社の仕事や雇用をどうするのかといった問題はある。だがそのことを僕が考えるより前に、このグローバル化によって海外からの仕事を獲得することによって、ほんの微々たるものであっても日本経済に貢献する方が建設的だとも思う。日本におけるサービスが海外の人にメリットがあると考えられて、それによって外貨の獲得につながるのなら、それは誰にとっても幸せなことだ。

 日本のバンドと話をする時に、特に東京のバンドからは「直接会って話をしてみないと何ともいえない」ということをいわれることが多い。もちろんそうだ。直接会って話をすることによる情報量は圧倒的に多い。来てくれるなら普通に会う気まんまんだが、それはどうも嫌なのだと。東京に来て会って欲しいと。まあそれは理想なんだろうけれども、諸事情によってなかなか難しかったりする。だからもうそれ以上の話を続けるのは嫌だというのなら、それはそのバンドマンの選択であり哲学なんだろうと思う。それを責めるつもりはさらさらない。だが、こうやって海外から日本の小さなレーベルに対してどん欲にアプローチをかけてくるバンドや工場があることを考えると、東京と京都くらいのことで遠いとか、会わないと話が出来ないとか言うのはなんという機会の損失だろうかと思う。東京に事務所を構えていた頃、関西や九州などのバンドマンはそういうことはほとんど言わなかったし、電話やメール、スカイプなどで十分にコミュニケーションを取ることが出来た。今も東京などのバンドマンたちとスカイプでミーティングを繰り返している。世界はどんどん小さくなっている。技術的な発展の恩恵をすごく感じている。だが、今でもそうやって距離の問題や肌で何かを感じたいという問題によって自分の可能性を閉ざしているバンドマンのことを見ると、やはりとても残念な気がしてならない。

 そんな愚痴を言いたいのではなかった。少なくとも、僕自身はネットを中心とした技術の発展が、こうした国際化という恩恵をもたらしたと感じているし、感謝もしている。それを使って可能性を広げていくのか、それとも閉じたままで生きていくのか。その選択が自分を変えていく大きな分岐点なのだろうと思う。もちろんリスクもあると思う。広げないという選択にも意味はあるだろうと思う。だが僕は広がっていく方向に進んでいきたい。

 そんなことを考えさせる、この数日の世界とのやり取りだった。