Sunday, June 02, 2013

白い月

 SONGS、松田聖子の回を見た。その中で彼女が「17の時の気持ちが今も変わらない」と言っていた。

 これ、すごくよくわかる。なぜなら僕自身も高校生時代の気持ちと基本的に変わっていないからだ。少しばかり誤解を生みそうな表現で、もちろん色々な経験を経てまったく同じ考え方というわけではない。でも高校生の当時には、40代後半なんて超大人って気がしていた。この場合の超大人というと、四十而不惑である。惑わないのだ。だが自分の40歳なんて惑いっ放し。きっとあの頃見ていた40歳も惑っていたんだろうけれど、そうは見えなかった。だから自分も年齢を重ねれば大人になれるんだと思っていたのだが、結局40にして惑う。もう毎日惑いまくり。惑いまくってあと1年半で50だ。50にして天命を知るのか?いや、知ったりはしないだろう。引き続き惑っているだろう。

 それはともかく、

 番組では久保田利伸による新曲を歌っていた。これがまた見事に久保田利伸。デビューして「流星のサドル」「Missing」などの超売れ線楽曲でヒットを飛ばしたあと、「BONGA WANGA」で突然のアフリカンミュージックに突入し、以後の音楽性も非常に紆余曲折してきた彼だが、こうやって今楽曲を提供するのはキッチリとしたポップバラードで、デビュー当時を彷彿とさせるような久保田節を聴かせているのがある意味すごいなあと感じる。

 一方の松田聖子も、そんなに久保田色が出ている楽曲なのに、歌ってみるとそれはやはり松田聖子の歌になっていて、これもすごいと思う。

 多くのバンドと一緒に仕事をしていて、そのバンドに力があるのかどうかを判断するのにはカバーをやるのが一番だとよく言っている。なぜかというと、力がないと、カバーではなくてコピーになってしまうからだ。この場合の力というのは個性という言葉で置き換えることも出来るかもしれない。自分という主体が強ければ、どんな曲をやってもそれはカバーになる。だが自分のスタイルというものを確立していないバンドであれば、結局他人の楽曲をやったときに本歌のスタイルをなぞるだけという結果にならざるを得ないのだ。世の中には自分のオリジナル楽曲を演奏しているバンドは山のようにいるけれども、単に自分の作った曲をやっているからそれが自分のスタイルだと勘違いしているケースも多い。本歌がないからオリジナリティなのではない。自分のスタイルがあるからオリジナリティなのである。そういうバンドのライブは、ただ単にメロディにあわせて音を鳴らしているだけになってしまい、結局面白みなどはまったく無いということになる。だからつまらないのだ。

 その点、やはり音楽の世界のトップランナーといって間違いない2人の楽曲と歌は、それぞれが自分のスタイルというものを明確に打ち出していた。久保田や松田聖子の音楽性が良いとか悪いとか好きとか嫌いとかに関係なく、スタイルを持っているという点で、この2人はやはりすごいと思った。