Friday, June 07, 2013

甘ちゃんの経済と愛

 今日Twitterである問いかけを受けた。僕が

「しかしまあ、育休中のママに在宅勤務などというふざけたことを言ってるやつらが社会のトップを勤めている間は、まだまだ精神世界の貧しい後進国だと思うよオレ。社員は24時間365日働けって言ってるヤツが国会議員になりそうな勢いだもんね。」

とつぶやき、さらに発展して

「もちろん子供がいない生き方も、結婚しない生き方も同等に価値も意味もある。それぞれの境遇の中でそれぞれが尊重されて、生き方を自分で決められる、それが保証されているのが生存権なんじゃないかと思う。実際には働かなきゃいけないし、そうそう自由ではないんだけれども。」

とつぶやいたことに対し、

「子供を産まない、結婚しない人の老後の年金の受け取りは半額にするべき」

というご意見だった。その人のいうこともわからないではない。今の年金制度では現役世代が老後世代を面倒見るという形になってしまっている。少子化が進み平均寿命も伸びていく中で今後若者1人あたりの負担は増えていく。そういう中で子供を産まなかった人たちは育児の為の費用や時間を負担していないのだからその分年金などの受け取りも減らされて然るべきだと。支離滅裂な暴論とまでは言い難い、ある意味理にかなっている主張だ。

 だが、僕はその論にはどうしても乗れない。

 子供を育てるということをこの1年近くやって来て、負担も増えるだろうが、喜びも増えるということを学んだ。子供の教育のことを考えて、うちではテレビの視聴をかなり減らした。当然テレビでDVDの映画を観るということもないし、映画館に行って2時間楽しむということもほとんど無くなった。夫婦だけの生活では当たり前だったことがどんどん無くなっている。でもそれは苦痛ではない。子供と一緒にやることが多いからだ。それまで当たり前の生活パターンはそれなりに面白かった。今も独身の友人はたくさんいるが、彼らの生活もそれなりに充実していると思う。自分がそうだったように、独身生活というのはけっして悪いものではない。だが今こうやって子供との生活に突入してしまうと、それ以外の生活は考えにくい。そして充実している。この充実感を与えてくれて息子よありがとうと心から思う。時間やお金の負担が増えたとしても、それに見合うだけの喜びは確実にある。何かの代償を国に求めるなんて気持ちはさらさら無い。

 もちろん、子育てにはお金もかかる。だから児童手当がいただけるのはありがたい。でも、それは子供を育てる為の足しにするという考え方なのであって、僕ら親が子供を育てたご褒美としてもらうのではない。あくまで子供の成長に必要なものを買ったりするのに使うものである。子育て未経験者の年金を減らすというのは、言い換えれば子育て経験者の年金をそれ以外に較べて増やすということでもあって、子育てが終わった人たちの老後にご褒美としてあげましょうということでしかない。それは子供の成長に寄与するものではなく、子育てをした人へのインセンティブである。それは違うと思う。そんなお金なら要りません。子育てをした人へのご褒美は子供の笑顔なのだと思う。それで十分である。

 うちの奥さんとよく話すのだが、なぜうちの息子はうちに生まれて来たのだろうか。それは浮遊している魂が既にあって、空中からどの家に生まれようかと探しているのではないかと。そして目を付けた男女がいたら、そいつら(僕ら夫婦のこと)を出会わせたのも息子の生前の魂の仕業で、どのタイミングで生まれてくるのかも息子の仕業なのだと。だからこの子はこの家に生まれるべくして生まれて来たのではないか。今のところ夫婦の間ではそういう結論になっている。別に宗教的に何か考えていたりとか、スピリチュアルなものが大好きとかなのではない。むしろそういうのを信じないタイプのふたりだ。でも、息子を見ていると、なぜこの子が今ここにいるのか本当に不思議だし、そういう理由を付けなければ理解出来ない。授かりものという言葉はなるほどなあと実感&納得出来る。

 そうだとすると、息子はもっと裕福でしっかりした他の両親の家に生まれることも出来たはずなのに、敢えて僕ら夫婦を選び、彼の全人生を僕らに委ねて生まれて来て、今この部屋に暮らしている。今頼れるのは僕ら両親だけなのだ。その覚悟、潔さを僕はどう考えればいいのか、受け止めればいいのか。大人の僕がビビっているわけにはいかない。全人生を僕らに賭けたあの小さな命の覚悟に応えるために、親はどこまでの覚悟で腹を括ればいいのか。それはもう無限大の覚悟に他ならない。年金がどうとか、そんな経済如きの小さな話の種にされたくはないし、されるべきではないと思う。

 安倍政権がいろいろと子育てについての政策を打ち出そうとしているのはよく判る。縦割り行政の弊害を放置して何もしてこなかったこれまでの政権に較べれば進歩と言えなくもない。だが、どうも現実とかけ離れた策になっているような気がしてならない。育児中のママが保育所に入れることなく在宅勤務を1日4時間なんてことが言われたりすると、その案を考えている人は子育てなんてしたことないんじゃないかと本気で思う。赤ちゃんの昼寝は睡眠薬で眠らせるとでも思っているんじゃないだろうか。経済を回す為に何が必要で、そのために将来の人口となる出生率がどうだとか、女性の労働力をどう活かそうとか、基本的に経済論理を中心にして検討されているように感じられる。それが突破口になって何かが良い方向に変わってくれるのであればそれも良しとしなければいけないのかもしれないが、子供や家庭のことを考えるのであれば、まずは経済より愛をベースに考えられないものかなと思う。その愛を実現させる為の経済的な裏付けを必要とするのであって、経済を豊かにする為に突き進んで愛が置き去りにされると、結局そこに幸せは生まれないんだと、甘ちゃんの僕はちょっと思う。