Monday, July 22, 2013

参院選を終えて

 投票日の21日。僕は前日に引き続き大学時代の旧友たちと一緒に京都巡りをしていた。早朝の東福寺座禅から始まり、ル・プチメックでの朝食、下鴨神社のみたらし祭を経て、今宮神社のあぶり餅に丸太町十二段家のお茶漬けランチなどなど、優雅なのかせわしないのか判らないような京都巡り。3時過ぎに東京への帰途につく友人たちを京都駅に送り、帰宅。そこから家族と一緒に近くの小学校へ投票に行った。

 そして8時。開票速報開始と同時に自民圧勝の結果予測が。まあこうなるのだろうと諦めに似た気持ちを最初から持っていたので特別驚きもしないが、やるせない気持ちはやはり隠せない。なぜこうなると予測したのか。早い話が野党の分裂である。野党がそれぞれ勝手なことを勝手に言っているのでは、自民に勝てるはずが無いのである。

 理由は簡単だ。非自民の票が割れるからである。その結果選挙区での上位には割れていない自民が入ってくる。1人区では最上位の得票を得た候補が当選する。野党の票をすべて合わせたら決して自民に負けていない選挙区ばかりだろう。しかし野党が割れるから自民が勝つ。それだけのこと。単純な話だ。

 では数合わせだけで選挙協力をすればいいのか。それもダメだろう。数合わせで選挙協力をしても、結果として個々の候補者や政党が持っている理想や意見が違うのであれば、当選しても結局途中で意見が衝突する。それも木を見て森を見ず的な些細なことでだ。最終的に国民のためになどはならない。これまでの政権交替もそうだった。宮沢政権が野党に転落したときの細川政権は、社会党の離脱によって瓦解した。民主党による政権交替は、菅野田前原枝野仙谷らによる内部分裂工作によって民主党そのものが割れ、瓦解した。小沢一郎は細川政権の時には政権内の主流派で崩壊に至り、民主党政権の時は反主流派で崩壊に至っている。

 今の政治状況を考えると、野党が割れるための仕掛けが幾重にも仕掛けられているようにさえ感じる。

 まずは維新とみんなだ。この両党はスタートが自民党であると言ってもいいだろう。みんなの党は渡辺喜美による政党で、公務員制度改革を訴えている。彼は第一次安倍政権の時の規制改革担当の大臣である。その主義主張は一貫しており、政治姿勢は真っ当だとも思われる。しかし、公務員制度改革の核心は天下りの廃止だ。この点に斬り込んだ場合に官僚の反撃はものすごいものになる。はずである。だがそこまでの逆風を受けているという様子は無い。小沢一郎はあれほどまでの逆風を受けているというのにだ。それは何故なのか。ここから先はまったくの推測であり妄想でしかないレベルではあるが、渡辺喜美が自民党を離れてみんなの党を小さい規模で成立させることの意味は何なのかということを考えてしまう。非自民といいながら政界に一定の小規模集団がいれば、小選挙区や参院の一人区では非自民の票を割れさせ、結果的に自民をアシストする役割を担う。このことは実は大きい。

 維新は橋下徹が大阪府知事時代に始めた動きだ。彼自身は当初から自民だったわけではない。だが維新が政党となり、幹事長として松井一郎が加わった辺りから様相が変わる。松井氏はそもそも自民党大阪府議団の政調会長だった人だ。昨年には自民党で無役だった安倍晋三と橋下徹が密会し、安倍晋三が維新に入るのかとまで言われた。

 その維新とみんなの党は合併に近いところにまで行きかけた。それに反対していた渡辺喜美を党代表から外してでも合併するべきと動いていた江田憲司が強力に押し進めていた。だが土壇場で橋下徹の慰安婦発言問題が起こり、合併の話は完全に消えた。あの発言は何故行なわれたのだろうか。これも完全に妄想の域だが、僕は両党が合併すると困ると考える人がいたのではないかという気がしている。今回の参議院選挙で参議院の過半数を押さえたい与党にとって、両党の選挙協力によって自民の議席が減るのはまずかったはずだ。そしてあのまま選挙協力が進めば、今回の選挙で一種のブームがおこるかもしれない。野党の中で突出する議席数を確保されたらまずい。1人区で自民が負けるようなところも出てきただろう。それは何よりマズいのだ。そのためには両党が合併できなくなるはっきりとした理由が必要になる。慰安婦発言は合併の障害としては完璧だった。その発言を意図的に橋下徹が行ない、それを受けた渡辺喜美が堂々と合併を拒否する。こんなシナリオがどこかで書かれたとしても何の不思議も無いという気がする。

 斯くして弱小野党が乱立し、自民が相対的に浮上した。けっして自民が支持されたわけではない。実際に支持されていないと思う。だが、結果として大勝した。これは丁寧な政策の訴えによるものではなく、事前の政党分断工作が着々と進んだ結果なのではないかと思う。

 もうひとつ気になっていたのは、みどりの風の存在である。今回の参院敗北によって、議員は亀井静香と阿部知子だけになった。落選した谷岡郁子は「みどりの風はその役割をたぶん終えた」と話している。役割とはいったいなんだったのか。政策的にはほとんど変わらない生活の党とどうしても合流することなく政党として参院選まで引っ張ってきて、参院選が終わった時点で「役割を終えた」と言われたら、なんの役割を担っていたのだと突っ込みたくなる。結局野党を分断することだけが役割だったのかと穿った見方をしたくなる。生活の党の比例得票が943,836票、みどりの風の比例得票が430,673票。合計すれば1,374,509票だ。社民党が1,255,235票で1議席を獲得しているということは、生活+みどりの風だって137万票あれば1議席は確保できただろう。なのにしなかった。なにをか言わんやである。もちろんこれも多分妄想の一種でしかないことなのだが。


 選挙結果が出た今朝、TwitterのTLで目立ったつぶやきがあった。それは緑の党から比例区で出馬した三宅洋平の得票数についてだ。「当選:ワタミ 渡邉美樹 104,176 / 落選:三宅洋平 176,970」というもの。得票数が多い三宅洋平が落選するのはおかしいということなのだが、これは間違っていると思う。比例代表の個人名はあくまでその政党の中での順位を決めるものであって、個人名を書かずに政党名を書いている有権者もたくさんいるのだ。ワタミの当選は自民党とだけ書いた人の数によって決まったものだというのが正しい解釈だといえよう。三宅洋平と書いた人はたくさんいるけれども、緑の党と書いた人が圧倒的に少なかったということである。

 要するに、比例区で出るなら大きな政党からということになるのだろうか。ルール的にはその通りであって、それに憤っても仕方が無い。ただ、こういう結果を見せつけられると寄らば大樹の陰という雰囲気が浸透していくんじゃないだろうかという気がする。政党で125万票が必要なのだとしたら、それを取れる政党でなければならない。より巨大な政党であればあるほど、個人の集票力が低くても当選しやすい。それは大きな会社の方が安定するというのと似ているし、不況の20年を過ごしてきた日本で、大きな組織に擦り寄っていく気持ちが高まったとしても不思議は無い。政治の世界はこれまであまり若い世代に関心が薄かったから、選挙の結果から若者の気持ちに影響を与えるということはこれまで少なかっただろうが、三宅洋平というミュージシャンの選挙フェスという戦法によってこれまで選挙に関心をあまり持たなかった若い世代にアピールしたというのは結構な事実だろうと思う。そしてその結果を受け、選挙制度のことをあまり知らない人たちが「ワタミより得票数が多いのに落選って納得できない」と騒いでいる。これが、落胆につながっているのは間違いないと思う。大切なのはこの落胆が再びより深い政治不信につながるということをどう避けるのかということなのではないだろうか。社会に生きる上で政治は無視できるはずも無い。だから意識無意識を超えて関わらざるを得ないわけで、そのときの関わる態度として、「寄らば大樹の影なんだな。いきがっても仕様が無いんだな」となってはマイナスだし、「政治つまんね。無駄なだけだからもう二度と選挙なんて行かない」ではもっとマイナスだ。やはり今回の現実を受け止め「次に勝利するにはどうしたらいいんだろう」というバネにするような、そんな気持ちになっていってもらいたいし、そうなるべきであって、今回若い有権者たちを政治に振り向けた三宅洋平という人にはその責任があると思う。それは当選して議員になるならないを超えたものであって、それが出来るのであれば議員ではなくとも政治家としての資質十分ということになるだろうし、それが出来ないのであれば、そもそも政治家の資質もなかった人ということになってしまう。そこがひとつの試金石になるんだろうし、今後の彼の活動は注目していきたいと思っている。あ、そもそも僕は彼に票を入れたりしてはいないんだけれども。

 長くなってしまったが、言いたいことはもっともっとある。でも、仕事もしなきゃいけないし、今回はこの辺で。