Wednesday, June 19, 2013

1歳

 息子が1歳になった。昨日はそれを惜しむ気持ちでいっぱいだったけれど、誕生日を迎えれば、それはもう過去のこと。今日がやはり喜ばしい日であることを実感するばかりだ。

 今日は誕生日を祝いたいと、仕事を休んだ。奥さんの提案で、バースデーケーキは買わず、自作することに。ケーキ屋で買うと見栄えはいいが、食材が赤ちゃん向けではない。ケーキを周囲が食べて祝うより、本人に食べさせたいじゃないかと。なるほどなるほど、もっともだ。奥さんはネットのどこかでレシピを調べていたらしく、材料も準備済み。あとは、作るだけだ。僕が。ええっ、僕が??

 昔キラキラカフェをやってた頃、一応ケーキを作って出していた。だったらケーキを作るのは僕の役目だろうと。なるほどなるほど。作ろうじゃないか。作るよオレ。頑張って作った。薄切りの食パンをコップでくりぬいて同じサイズの丸いのを3枚。それをベビーダノンのジャム部分をはさんで重ねる。重ねたものに今度はベビーダノンのヨーグルト部分を塗りたくる。その周囲にベビー用チーズクラッカーを適当な大きさに切って貼付けていく。最後にイチゴを乗せれば完成だ。

 思った以上にきれいに出来た。1歳の息子に見せるとなぜか興奮。ケーキなんて知らないだろうに。あのビジュアルは本能的に興奮させる力を持っているのだろうか?で、瞬殺できれいなケーキは無惨な姿に。手づかみでイチゴをパクパク。チーズクラッカーもボリボリ。ヨーグルトを塗られた食パンはさすがにお母さんに切ってもらって食べさせてもらったが、食べ終わる時には白ヒゲ危機一髪というなんとものんきな表情に。

 普段お昼はそれほど食べないという息子。なのに今日はお昼に爆食。嬉しかったのかなあ。そういうのを見たお父さんは嬉しかったなあ。

 こういう光景は何も誕生日に限ったことではないだろう。そういうのをほとんど見ずに過ごしているお父さんも多かろう。たまには仕事安んで子供の姿を眺めようよと本当に思う。育児休暇というのは育児を労働として考え、その労働をするために必要という目的で存在しているのだと思う。それさえ父親はとれずにいることがほとんどだ。でも、労働の一部としてではなく、父親がただ子供の姿を眺めるというために育児休暇はあっていいんだろうと本当に思う。そう簡単ではないのも判るが、子供を持つ親が、その子供の成長の場面を見ずして、一体何のために生きているんだという気がする。いや本当に簡単にはいかないのはよく判っているつもりだが、素朴にそう思ったよ。

 話が逸れた。

 今日は仕事を休んで家にいたものの、朝から京都は雨で、お散歩には行けず。まあそれも仕方ないな。息子は梅雨に産まれたんだった。1年前の今日も、いつ降ってもおかしくないような雲に覆われていたことを思い出す。病院の窓から、そんな雲を眺めていたことを思い出す。記念の日の記憶というのは、そういうどうでもいいようなことが、脳に残っているというのが、ちょっと面白い。