Tuesday, July 09, 2013

長男が立ちました

 今月に入って、その兆候はあったのだ。なんか立ちそう。嬉しくなって僕は息子(1歳と半月ほど)が僕の手につかまり立ちをする時に、なんとか立たないものかとそーっと手を離してみたりしていた。

 そんな姿を見つかって、奥さんにやんわりと諭された。まだ小さな子供なのだから、自分で立つのが恐いんだと。自分のタイミングで立つならいいけど、お父さんに手を離されて転んだりしたら余計に恐くなって、トラウマになっちゃうよと。そりゃそうだ。僕が悪かった。例えが適切かどうか分からないけれど、バンジージャンプみたいなものかもな。好きな人は全然平気そうだが、僕は絶対にイヤだ。それを父親に無理矢理飛ばされたら、僕も父親のことが嫌いになるかも。

 嫌われたら困る。それは困る。今のところお父さん大好きな感じの息子なのだ。嫌われたら生きていけないよ。

 というわけで、あまり無理には立たせようとしなかった。だが昨日、仕事から帰宅していつものように戯れていたら、僕の腿につかまって立っていた息子がそーっと手を離した。自分からだ。そして5秒、10秒、20秒と結構長いことバランスを取ってこっちを見ている。お父さん(僕)はちょっと呆然。新種の鳥を見つけたらきっとこんな感じなのかもしれない。驚くというより、なんだそれというような、感じ。でもそれが本当の気持ちだった。

 奥さんによると、昼間に1度立ったのだそうだ。でもその時は1度だけ短い時間立っただけで、その後はずっと立つ素振りも見せなかったのだと。それが僕が帰って来て早々に20秒以上立ったり、それを何度も繰り返しているのは、きっとそれまで立たせようとしていたお父さん(僕)に見せたかったのではないかと。そういえば立ってる時に見せる笑顔はどことなく誇らしげなドヤ顔だ。こんな顔も出来るのか。立てるようになったのと同時に、こんな顔も出来るようになったんだと、嬉しいような不思議な気持ちが沸き上がった。

 立つのはひとつの通過点だ。特別な事情が無い限り、普通は立つ。これまでも寝返りを打ったり、はいはいしたり、つかまり立ちをしたりしてきた。これからも歩くし、走るし、泳いだりもするだろう。そういうことのひとつの通過点に過ぎないのは分かっているけれども、ひとりで立てるようになるというのは、なんか特別な感慨があるような気がしている。それは、嬉しさと、反面の寂しさでもある。成長していくというのは不思議なものだ。

 かつて大学に行くために実家の福岡を離れたとき、僕は将来何らかの出世か成功をして、それから故郷に錦を飾ろうと考えて、休みにも帰省せずにいたりした。未だ錦を飾れてはいないが、今はちょくちょく帰省するようにしている。父が癌に倒れた時にその考えは間違いだと気付いたからだ。親に出来る孝行は、顔を見せることくらいしか無いし、それでいいのだと気付いた。入院している父の病室に行き、日中は仕事をしている実家の家族の代わりに僕が日がな一日病室に詰めたりしていた。詰めたといっても特に何もすることは無く、ただ病室の一画で本を読んだりしていただけだ。でも、それで良かったんだと思う。1週間ほどの帰省の間、僕はわりとずっと病院にいたような記憶がある。

 それが1993年のことだった。翌年には父は他界した。孝行はできたんだろうか。でも最後の1年の間、弱くなっていく父の姿を見たりしながら、僕は父子のつながりを深められたような気がしている。孝行ができたかどうかは、もうどうでもいいような気もしているのだ。

 それから20年後の1993年に、僕が父親として息子の自立を見ていろいろ考えている。不思議な話だ。まあ自立といっても自分の足で立てるようになったというだけのことではあるけれども。